法話の窓

032 春に思う

 三寒四温と言いますが、寒さや温かさを感じながら、何時の間にか春を迎えています。草や木々は、もうすっかりその気になって芽をふくらませ、いつでも温かい日が続けば開花したり若芽を萌せる状態になっています。

 「春は曙、ようよう白くなりゆく山ぎわ」と、枕草子にも記されていますように、全ての夜明けを意味するいい季節です。

 人生を四季に例えれば、その文字の如く、青春の暗く冷たい玄冬の季を過ぎて、明るく華やかな希望に満ちあふれた時季です。

 「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」でしたか、菅原公が太宰府に流された時に庭の梅の木に記されたという歌です。東風(こち)は春風、東の風は春の風、春は東からやって来るのです。

 毎朝、犬を連れて散歩に出ます。畦道(あぜみち)のタンポポやつくしの顔に春を感じます。暗黒の眠りから覚めた生命の息吹が私たちの生命と共鳴する一時です。生命を育むとか生命の尊さを知るという事は、これらの小さな生命に共鳴出来る。感動する心を持っているかどうかという事でしょう。物を生かし、生かされるというのは互いの生命の往き来ということだと思うのです。

 日毎、温かくなっていく春の日々、外に出掛けて生命の息吹を感じ、鳥や花は誰のためにさえずり、美しく咲き誇っているのか考え、今日ある生命に感謝したく思います。

林学道

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