法話の窓

027 明けましておめでとうございます

 皆さんお年玉を貰ったり、お雑煮を食べたりと、楽しいお正月を過ごしていることと思いますが、ところでお正月が、なぜおめでたいのか、考えてみたことがありますか?

 「お正月がおめでたいのはあたり前だよ」と言う声も聞こえてきそうですが、実は、私たちはあまり意味も考えずに、何となく習慣だからお祝いしているだけではないでしょうか?そこでお正月について少し考えてみたいと思います。

 人生には入学や卒業など、さまざまな節目(ふしめ)があります。節目にはそれまでの自分を見直して、新しい目標を目指して再出発する事が出来ます。

 お正月もまた一つの節目です。もしも一年という区切りがなければ、私たちの生活は単調でダラダラしたものになってしまうでしょう。やはり一年を区切る事で、去年の自分を反省することが出来ると共に、新たな気分でこれからの一年を迎えることが出来るのです。

 京都の大徳寺を開かれた大灯国師(だいとうこくし)という和尚さんのお話です。ある元旦の朝、大灯さんがお弟子さんたちにお説法をしようとすると、一人のお弟子さんがこう言いました。

 「和尚さん、今朝は全ての物が新たな年を迎えたおめでたいお正月です。今日の良き日にふさわしいお説法をお願いします。」すると大灯さんは、「今朝もお前さんと一緒に、おめでたいお正月を祝うことが出来たわい」と言ったそうです。

 大灯さんは、『お正月に「あけましておめでとう」とお祝いし合える、私とお前が今ここに生きている。これ以上、他におめでたいことがあるだろうか』と言われたのですね。

 私たちはふだん、つい「あたり前の生活」を送ってはいないでしょうか。朝、目がさめるのもあたり前、ご飯が食べられるのもあたり前、学校に行けるのもあたり前、しかしそんな生活がいつまで続くのか、本当は誰にも判らないのです。

 去年は日本全国で、台風や地震などのさまざまな災害がおこりました。やはりお正月には、今年一年、無事でありますように」とお願いすると共に、「今、生きていることのありがたさ」に心から感謝して、お祝いしたいものです。

山本文匡

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