法話の窓

021 いただきます

今日はみんなが楽しみにしていた秋の遠足。お弁当もって、水筒もって、おやつももって「行ってきま~す!!」

お昼になりました。「今日のお弁当、何が入ってるかな~?」
みんな合掌して「いただきま~す!」

(おやおや、何も言わずに食べはじめた人がいるぞ!)

「ぼく、お肉大好き。でも、この魚はきらい。」
「あ~、トマト入ってる、これいらない。」
「このたまご焼き、あんまりおいしくない。」「今日のお弁当少なかったなぁ、もっと大きいのにしてくれればいいのに。」

(あらあら、せっかくお母さんが作ってくれたお弁当なのに、好ききらい言ってるの、だ~れだ?)
みんなはどうだろう?ごはんの時、こんなこと言ってないよね!

これを仏教では三毒(さんどく)と言います。

①貪(とん)...むさぼりのこころ
 もっと食べたい、これ食べたい、あれも食べたい、と言っていませんか。

②瞋(しん)...いかりのこころ
 これまずい、おいしくない、と言っていませんか。

③癡(ち)...おろかなこころ
 あれが好き、これは嫌い、と言っていませんか。

 

 これは食事の時だけとはかぎりません。日常生活のあらゆる場面で出てきてしまいます。例えば、このゲームが欲しい、次はあのおもちゃも欲しい、もっとマンガの本欲しいよ~、みたいにネ。

 毎日食べるごはん。ごはんの時、文句ばっかり言って、おいしく食べることができるかな?それよりも、嫌いなものがあってもちょっとぐらいガマンして、感謝して食べる方がず~っとおいしく食べれるんじゃないかな。文句言いながら食べてると、作ってくれた人はどんな気がするだろう?それに、食べてる自分もいゃな気分になるだろうし、一緒に食べてる人もなんかいゃ~な気分になってくるんじゃないかな。そんなの嫌じゃない?

 わたしたちは生きていくために毎日ごはんを食べます。田んぼでできる白いお米。海でおよいでるお魚。畑でとれる野菜、キャベツやにんじん、トマト、たくさんの野菜をたべます。お肉だってたべます。お水も飲みます。

 こうして食卓に並べられる多くの食物は皆、「いのち」あるものばかりです。わたしたち人間の「いのち」と何ら変わらない、全く同じ大切な「いのち」なんです。

 わたしたちの大切な「いのち」。お米さん、お魚さん、野菜さん、お肉さんの「いのち」だって、と~っても大切な「いのち」なんです。でも、この大切な「いのち」をいただかないとわたしたちは生きていけません。大切な「おいのちさん」をいただいてるんです。だから、食事の前に「いただきます」って言うんです。「お米のいのちさん、いただきます。」「お魚のいのちさん、いただきます。」なんです。

 そして、その「おいのちさん」だって、わたしたち人間だけでつくれるものではありません。お野菜。最初は人間が種をまくんだけど、そのものが育つには太陽の光、水など天地の恵み、大自然の力が必要なんです。大雨がふったり、台風がきたり、天気が悪ければうまくできません。だから、わたしたちはものすごく大きな力によって生かされているんです。

 そう考えると、今食べようとしてるごはんが、とってもありがたく思えませんか?

 では、みんな感謝の気持ちをこめて合掌、「いただきます。」

岩浅慎龍

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