法話の窓

020 打てば響く

 キンコンカンコーン、キンコンカンコーン。チャイムが鳴りました。教科書にノート、下じき、筆箱。机の上に、ちゃんと準備できたかな?

 あれれ、誰かな?「次は国語の授業だったかな?それとも生活だったっけ?」なんて言ってるのは?次は国語の時間だよ。

 「ぼくは大丈夫。ちゃんと準備できたもんね。教科書とノートを広げて・・・・」と筆箱を開けると・・・・。「しまった。鉛筆、削ってないや!消しゴムも忘れちゃったみたい・・・。」

 みなさんも、こんな経験をしたことがありませんか。チャイムが鳴った時、すぐに勉強できるよう準備しておくことは、とても大切なことですよね。
 
 ところで、お寺には、チャイムこそありませんが、いろいろな『鳴らしもの』があるのを知っていますか?大きな鐘(大鐘)や、太鼓(法鼓)、木魚、お仏壇の前にある鈴の大きなもの(大磬・小磬)、拍子木(柝)などなど、いろいろな『鳴らしもの』があります。『僧堂』と呼ばれる和尚さんの修行する所では、この『鳴らしもの』が、いつ、どんなふうに鳴らされるかで、次にはどんな行動をしなければならないのかを知らせてくれます。

 例えば、日出・日没・就寝時には開板と呼ばれる分厚い木の板を木づちで叩きます。朝食や昼食の準備ができると、雲版と呼ばれる金属製の板を鳴らして合図します。食事の前に柝(拍子木)を一つ鳴らすと、お経を唱えながら、お椀を(持鉢)並べて、ご飯をよそってもらえるように準備をするといった具合です。僧堂では、『鳴らしもの』で合図することで、次に自分はどんな行動をしなければならないか、また、その準備や心構えができているかということを、毎日毎日、繰り返し練習しているんですね。 

 学校のチャイムも同じじゃないですか?算数で計算ができることや、国語でたくさんの漢字を覚えることは、もちろん大切なことです。けれど、準備や心構えができていなかったらどうでしょう。

 例えば、消しゴムを忘れたら、「どこに置いたのかなあ?」と気になって、いつもは五つ覚えられる漢字も、三つしか覚えられないかもしれません。「昼休みは何してあそぼうかな?」とか、「今日の給食は何かな?」なんていうことに気をとられて、自分の心構えができていなかったら、うっかり計算ミスをすることもあるでしょう。

 つまり、キンコンカンコーンとチャイムが鳴った時、「次の授業は国語だ。その準備と心構えはしっかりできているかな?」と自分の心を国語の授業に向けていくのは、とても大切なことなんですね。みなさんは、学校で繰り返しその練習をしているんです。 

 『打てば響く』という言葉があります。すぐに反応があるとか、すぐに結果があらわれるという意味です。鐘を打てば、鐘がゴォーンと響くのは当たり前のこと。けれど、その鐘にヒビが入っていたらどうでしょう?確かに響きはするでしょうが、きれいに正しく響くことができるでしょうか。きっと、グワァーンなんて響くことでしょう。

 同様に、チャイムが鳴れば授業が始まるのは当たり前。けれど、その時、しっかり準備はできていますか?自分の心にヒビは入っていませんか?グワァーンとかグヤーンなんて響くことはありませんか?

 「自分という鐘を打った時、ゴォーンと正しく響くことができるよう、自分の準備と心構えをしておく。その練習なんだ!」みなさんも、明日、学校へ行ったら、そう思ってチャイムを聞いてみて下さい。今までより、授業が楽しいこと間違いなし?です。でも、その前に、忘れ物がないかもう一度よく点検しましょう。筆箱の中は・・・・?あらっ、やっぱり、鉛筆を削ってなかった!!

稲葉瑞峯

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