法話の窓

010 あたりまえの大切さ

 昨年の夏、話題になったできごとの一つに火星の大接近(だいせっきん)がありました。火星は地球の外側をまわっている惑星(わくせい)で、2年2ヶ月ごとに地球に接近を繰り返しています。昨年の接近は5万6千年に一度の超大接近でした!

 5万6千年はとてつもなく長い時間です。でも宇宙の歴史はというと130億年にもなるそうです。宇宙の歴史を1年におきかえてみて、1月1日に宇宙が誕生したとすると、人類の誕生は年越し直前の12月31日の23時59分頃になるそうです。人類進化の長い時間も、宇宙全体の時間の流れの中では1分にもならないわずかな時間なのです。すると私たち一人の人生は、ほとんど一瞬であるということになります。しかし、見方をかえれば、一瞬であっても広大な宇宙の中で人間として生まれてくることは奇跡的なことなのです。みなさんはその大切ないのちをどう生きますか。

 自分や社会の幸せを考えるとき、もう一度見つめなおしてもらいたいことがあります。それは、あたりまえに生きることの大切さです。勉強やスポーツや友だちと遊ぶこと、それだけではありません。朝、目が覚める。食事を食べる。体が動く。そして夜寝る。もっといえば呼吸ができる。どれもあたりまえと思っていることです。そのあたりまえの生活の中に大切ないのちを生きる本当の意味がかくされているのです。

 「平常心」ということばがあります。スポーツの試合で、「平常心でがんばれ」などといわれたことがありませんか。この平常心とは、ああしようこうしようと、考えをめぐらせたり、なげやりで生きるのではなく、あたりまえのこと、今しなければならないことに一所懸命に取り組むということです。それはつまらない事かもしれないし、面倒(めんどう)なことかもしれない、つらいことかもしれません。好き勝手をするのは楽ですが本当の自分をごまかしつづけることになります。あたりまえの事に平常心で取り組む姿勢が自分の体と心をきたえます。そればかりか、まわりの人にも生きる力を与えます。そして、この地球に人間として尊いいのちを与えてもらったことに感謝でき、本当の幸せを感じられる生き方につながるのです。

 これからのあたたかい季節、星空や自然の姿をつうじて、自分自身を見つめてみませんか。

 

森山隆司

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