法話の窓

009 タンポポの綿毛(わたげ)

 うちの子供が保育園に入園する日の朝のことです。真新しいバックを背負った我が子が、庭に咲くタンポポの綿毛を手に取って、ふうっと吹きました。その時、風に舞う小さな一つひとつの綿毛を見て、おもわず「わあ、みんな一人ずつ飛んでいった」と言ったのです。

 3歳になったばかりの我が子には、まだ物の数え方が分かりませんが、ふと私自身がその一言に教えられることがありました。その小さな綿毛を見て「一人ずつ」と言った子供の言葉を仏教的にみると、まんざら間違いではないのです。お釈迦さまは私たち一人ひとりに、また山や川・草木にいたるまで、生きとし生けるもの全て「尊いいのち」が備わっていると説かれました。

 例えば、思わぬ所にきれいな花が咲いているのを目にした時に、思わず「きれいだなあ」とつぶやくことがあるものです。素直な気持ちで何も考えずに、純粋にきれいだと思えた心がそうさせているのです。そこには一片の疑いなどありません。

 そのような、くもりの無い純粋で優しい思いのことを「仏さまのこころ」というのです。そして、その心で花や草木に目を向けたとき、私たちは花や草にも尊いいのちが備わっているのだと素直に感じることができるのです。

 私たち人間はつい忘れ物をしがちになります。教科書や筆箱などなど......。それと同じように本来備わっている仏さまのこころを忘れてはいないでしょうか。

 私自身も、我が子が綿毛に向かって「一人ずつ」といった言葉の中に、「尊いいのち」が全ての物に宿っているということを改めて再確認することができました。そして、忘れかけていた「仏さまのこころ」を取り戻すことができたような気がします。

 春、自然界は目覚めの時であります。そして、私たち人間にとっては出発の季節であり、あちこちの小学校では入学式が開かれます。小さなタンポポの綿毛が次のいのちの芽生えのために飛び立っていくように、私たちも元気よくさわやかな気持ちで出発していきたいものです。 

 

福山宗徳

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