法話の窓

007 自らを信じる

お彼岸とは仏教の教えを実践する一週間です。今年もまもなく春のお彼岸がやってまいります。

 私は、お彼岸が近づくと必ず思い出すことがあります。それは数年前の春の彼岸入りに起きた出来事です。

 地域にけたたましくサイレンが鳴り響きました。「もしかして火事?」、消防新入団員となった私の初出動です。急いで詰め所に向って走っていると、燃え盛る炎が目に飛び込んできました。大火事です。息をはずませながら現場に駆けつけました。まだ団員は誰も集まっていませんでしたが、幸いOBが来てくれたので、助けを借りながら消火の準備をしています。

 消火ポンプは一人では動かせません。それには機械担当、伝令・放水する人、放水補佐と、最低四人の人手が必要です。私は先頭の補佐をすることになりました。近くに寄っただけで火傷しそうな熱気で、火の恐ろしさを実感しました。しかも燃えている家は、日頃より倉庫代わりに使われており、火種になる物がいっぱい詰め込まれているので、放水してもなかなか火の勢いは収まりません。それどころか燐の家にも燃え移ろうとしています。

 団員は必至です。「絶対消すぞー!」皆が一丸となって、腹の底から声をかけ合っていました。負けそうになる気持と戦ったのです。そのうち応援も駆けつけて何とか鎮火しました。炎に勝ったのです。鎮火した後の焼け跡から火事の大きさを知りました。何と四軒もの家が延焼したのです。この事実には喜べませんが、団員達は肩を叩いてお互いの信頼を確認したのです。


 彼岸とは仏教語、悟りの向こう岸という意味で、迷いの炎が消えた穏やかな世界です。反対にこちら岸は此岸、私達が悩む世界です。言いかえると、心が騒ぐ原因を集めてどんどん燃えている世界です。炎を小さい時に消さずにほったらかせば、大きな炎となり我が身を焼く苦しみになるのです。


 皆さんはこんな事ありませんか?。友達とささいなことで喧嘩をした。両方に小さな過失があってお互いに謝りたいのだけど、自分の中にある色々なとらわれの心がそれを許さない。「後で後で」と思ううちに、事実をよく知らない友達が「お前は間違っていない、相手が悪いのだ」と言う。その言葉にも振り回されてしまい、ぎくしゃくした関係が続くうちに大喧嘩になり、ついには絶交してしまった・・・。それは結局、謝ろうと思った自分を信じられなかったのことが原因となり、かえって悩みを大きくしたのでしょう。

 彼岸とは、自己の中にある善い叫びを信じ、それを実行することによって実現される世界なのです。火事は私にそれを実感させてくれた事件でした。皆さんも、自らの中にある素晴らしい心を信じて、一度しかない人生をこの上なく充実させていきましょう。

 

山崎忠司

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