法話の窓

003 私たちの根っこ

 あるところに、背(せ)のたかい大きな和尚さんがいました。そのお寺にはとても大きな楠(くすのき)の木がありました。和尚さんは毎朝(まいあさ)、庭(にわ)をおそうじするたびに、くすのきの木を仰(あお)いで見るのが大好きでした。

 そこへ、見知らぬおじいさんが来られ「立派(りっぱ)な木ですなあ。さぞかし、根(ね)っこもすごいんでしょうな」と和尚さんに話しかけました。

 それまでは地面(じめん)から空(そら)に向かってそびえる木の姿(すがた)だけを見て満足(まんぞく)していた和尚さんでしたが、「目に見えない土の中まで伸(の)びた根っこも、くすのきの木なんだあ」と気づかされました。

 しばらくすると、今度(こんど)は小さな女の子がやってきて「和尚さんって大きいなあ。このくすのきの木みたい」と。

 「私がくすのきの木かあ、だったら私の根っこってなんだろう」和尚さんは考(かんが)えて見ました。「あー、なるほど、私の根っこってご先祖様(ごせんぞさま)なんだ」と。その和尚さんは自分の根っこに気づいたのです。

 土深(つちふか)く広がった根っこによって大きなくすのきの木が支(ささ)えられているように、私たちもご先祖さまという根っこによって支えられているのです。

 とかく私たちは、ご先祖さまや木の根っこのように目に見えないものに気を配(くば)ることを忘れがちになります。そんな目に見えない根っこに感謝(かんしゃ)し、共(とも)に生きようと心新(こころあら)たにするのが先祖供養(せんぞくよう)なのです。

 お正月がやってまいりました。皆さんのお家のお仏壇(ぶつだん)も、きれいにお掃除(そうじ)をし、お飾(かざ)りもして、ご先祖さまにもお正月を清々(すがすが)しく過(す)ごしていただきましょう。

 

多田曹溪

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