法話の窓

春彼岸 いま、ここを生きる(be Here Now)(2009/03)

 春の彼岸の頃に咲く花の一つに薺(なずな)があります。2ミリぐらいの白い花が20個ぐらい固まって咲いているのですが、それを薺の花だと知っている人は少ないでしょう。この花を有名にしたのは芭蕉の次の一句です。


  よく見れば薺花咲く垣根かな

 

 この句について、今栄蔵氏は、「ふだんは気にも止めぬ垣根の根元に、よく見ると薺の花が目立たずひっそりと咲いている」と解いています。堀信夫氏は、「薺のはなのさまはあまり見ばえのするものではないが、しかし、その路傍の雑草にまであまねくゆきわたった春色を見れば、万物皆造化の端緒として、自足していると考えざるを得ない。彼(芭蕉)は自分自身が自得することによって、そのような造化の機微に触れることができると考えていた」と注し、中国北宋中期の学者程明道の「万物を静観するに皆自得す」という詩句を引用し、「よく見れば」は、明道の「静観」の翻訳であろうと記しています。


 薺の花に限らず、ありとあらゆる物が、その時と処を得て自足自得しているさまを静観すれば、彼岸(悟りの世界)は即今(いま)此処(ここ)の此岸(迷いの世界)に実現していることを悟る筈です。だから、この芭蕉の一句は、いま、ここを生きることが彼岸に到る道であることを示唆していると思います。
 即今(いま)此処(ここ)に生きることを唱っている曲としては、かつて世界中の若者を熱狂させたビートルズのヒット曲に一つに「イマジン(Imagine)」があります。作詞者のジョン・レノン(John Lennon)の名言として世に知られている「いま、ここを生きる(be Here Now) 」を踏まえて「現在を生きている」と訳しています。浄土を彼岸、地獄を此岸、全ての人々を薺の花に読み替えると、芭蕉の一句になることを想像して見て下さい。


 「いま、ここを生きる」薺の花は、咲いている場所や周囲の状況について好き嫌いを分別しないので自足自得していると言われるのです。全ての人々があらゆる状況について好き嫌いを分別しないで自足自得することができれば、それは彼岸に到った仏に他なりません。
 だから、いま、ここを生きる人は憂悲苦悩を嫌いません。憂いに出会えば憂える仏、悲しみに出会えば悲しむ仏、苦しみに出会えば苦しむ仏、悩みに出会えば悩む仏になって何時も安らいだ心境でいられるのです。そこが彼岸です。

 

岩村宗康

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