法話の窓

3月のライオン

 「3月のライオン」という将棋漫画があります。変わったタイトルだなと思い調べてみると、「March comes in like a lion and goes out in like a lamb.(3月はライオンのように荒々しい天気で始まり、子羊のように穏やかな天気で終わるの意)」というイギリスの諺があり、棋士にとっての3月は順位戦の最終局が行なわれる正念場であることに因んでつけられたようです。
 しかし3月は学生さんも卒業や進級の節目ですし、多くの人々にとって年度末の忙しい時期です。私達はそれぞれの正念場をどの様な心構えで迎えれば良いのでしょうか?

 「正念場」を辞書で調べてみると、「【正念場・性念場】①歌舞伎・浄瑠璃などで、主人公がその役の本質的性格(性根)を発揮させる最も重要な場面。性根場。②(①から転じて)その人の真価を問われる大事な場面。重要な局面。(『スーパー大辞林』」)とありました。てっきり私は仏教語の「正念」に由来する言葉だと予想していたのですが、どうやら性根場が性念場に転じ、さらに正念場となったようです。しかし役の本質、性根が問われるのが正念場であるというのは、実に示唆に富んでいます。

 私たちは皆な、何らかの属性を帯びて生きています。それは国籍や性別から、学歴や職場での役職など様々ですが、言い換えるなら、人は誰しも何らかの役割を担って生きているということでありましょう。しかもその役割は一つとは限りません。例えば、会社では課長として部下を指導する立場であっても、家庭では夫として妻と共に家庭を守り、父親として子供を育てるなど、その時々に応じて様々です。しかし、その場その場で自分の役割を主体的に果たしていくこと、つまり「随処に主と作る」(ずいしょにしゅとなる)ということが、正念場を乗り切る秘訣だといえるのではないでしょうか。

 日本は今、少子高齢化やIT技術の普及などにより変革期を迎えています。それはジャンルを問わず、あらゆる分野で従来のやり方が行き詰まりつつある訳ですが、この正念場を乗り切るには、それぞれの企業や団体が、何のために存在しているのか?というその本質を自ら問い、再確認する必要があると思います。
 「3月のライオン」の主人公も、様々な困難の中、一時プロ棋士を続けることに悩みますが、自分が将棋を好きであることを再確認して再び立ち上がります。お互いに自分自身をしっかりと見つめて、人生の正念場を乗り切っていきましょう。

 

山本文匡

ページの先頭へ