法話の窓

精出せば凍る間もなし水車(2018/1)

 新たに年を迎えると今年はどんな年になるのだろうかと思うより、去年は何があったか思い返します。個人的に良い事も悪い事もありましたが、すべて過去のこと。周囲が去年ではなく今年の話題で盛り上がるのを見ると、冬の寒さにも似た寂しさを感じます。

  精出せば凍る間もなし水車(みずぐるま)

という江戸中期の俳人 松木珪琳の句が『禅林世語集』に収められています。
 滔々と流れる水に沿って回る水車は厳冬の中にあっても凍る事がないとされます。
 水車を私達の心だとすると、水の流れはお釈迦様が説かれた、すべては移ろい変化するという教え、「無常」の流れといえます。
 句の冒頭に「精出せば」とありますが、水車がいくら精出して回ろうにも水の流れがなければ回れません。精を出すのは回る事ではなくて水の流れに沿うこと。
 しかし、私たちは過去の経験や体験から「こうでなければ」という思いを持ちだして流れに沿えずに心を凍らせてしまいます。
 珪琳の句は季節も時代も人も刻々と変化する流れの中で、私たちも心をそれに沿って行く事で、自然と凍ることなく自分の務めを果たせると教えてくれているのではないでしょうか。

 「和尚さんこういうの知ってるかい?」
 そういって見せられたスマートフォンの画面には某SNSサイトに投稿された写真が映っています。
 見せてくれたのは私の住む町の区長会長、自治会の理事など数々の公職を今も務められる70歳を過ぎた男性のMさん。
 驚く私を前にMさんはご自分が他に利用しているSNSを次々と教えてくれます。
 「いやぁ、時代は変わるもんだね。俺が子どもの頃はこんな風になるとは思ってなかったよ。でも、その時代時代にあった生き方があって、その中で自分がやることをやるしかないね」
 そう言ってMさんは数々のSNSを通じて自治体の広報活動をしたり、他の自治体との交流を図っていることを溌剌とした表情で教えてくれました。

 年齢を問わず、時代や物の変化の流れについていけずに、それまでの経験から「こうでなければ」と思う事は誰にでもあるかと思います。しかし、時代の流れに沿って楽しみながら公職の務めを果たすMさんの姿に、私は初めの句にある水車を重ねました。
 今年一年、良い事も悪い事も含めて色々な事があると思います。常に移ろい変化していく流れの中で、「こうでなければ」という自分の思いで心を凍らせるのではなく、流れに沿って務めを果たす水車やMさんのように、溌剌と日々を過ごしていきたいものです。

加賀宗孝

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