法話の窓

命は形見

 お盆の時期になると精霊棚を作りナスの牛やキュウリの馬・お膳などを備えたり、迎え火、盆踊り、灯籠流をしたりとご先祖様をご供養する様々な習わしが各地で行なわれます。

  ひとの生をうくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし

と法句経にあります。ご先祖様の一人でも欠けていたら今の自分は存在しません。そのご先祖様から代々繋がっている命を今、私たちが生きています。だから私たちの命は有難いものなのですというみ教えであります。ご先祖様をご供養するとともに、今ある自分の命を有難いと感謝をもって生きていく心を養う行事がお盆ではないかと思うのです。

 自坊がある福島市では、毎年8月17日に阿武隈川河畔において万灯供養をしています。去年の万灯供養でも、私は法要の準備や灯籠の御戒名書きの手伝いをさせていただきまた。真夏の夜、人いきれの中で、蒸し暑さにどっと汗が噴き出てきました。長い時間が経ち少々疲れを感じ始めた頃、灯籠を並べる場所を私に聞いてきた親子がいました。私がその場所を教えると、女の子が「これ、おばあちゃんに作ってもらったの」と言って折り紙のチューリップを見せてくれました。そして、こう言ったのです。「遊んでくれてありがとう、ってとうろうを並べるんだ」。
 その言葉に、はっとしました。私の心の中に祖父との思い出がよみがえってきたのです。手先の器用な祖父に小学生の頃、やじろべえを作ってもらい、一緒に遊んでいたことを思い出しました。

やがて、法要になり、約7000に及ぶ灯籠が並んでいるのを見ると、灯籠一つ一つに家族があり、それぞれに多くのご先祖様がいるということに改めて気付かされました。そして、灯籠を丁寧に並べている姿を見ておりますと、今は亡き大切な人への感謝の思いを感じました。

  垂乳根(たらちね)の 親の遺(のこ)せし
  形見なり いや慎しまん 我が身ひとつを

という詠み人知らずの歌があります。形見とは何でしょうか? 女の子が大事に持っていた折り紙のチューリップや私にとってのやじろべえのような物としての形見もあります。
 しかし、女の子や私たち自身も亡き方の大切な形見であると言えるでしょう。そう思えばこそ、今あることを感謝して自分の命を大切に生きようと思えるのではないでしょうか。お盆に際しまして、感謝をもって生きていく心を養っていきたいものです。

大野泰明

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