法話の窓

おもてなしのこころを届ける

 

 「お供え物をよろしくお願いいたします」。
 ご先祖様へ向けたお供え物を「お盆」に載せて運ぶお檀家様の姿から、大切な人を想う「おもてなしのこころ」を改めて感じます。私たちの日常生活においても、大切なものを大切な人へ運ぶ際に使用する「お盆の習慣」から、そのこころは自ずと根付いています。そして、お盆休みに帰省をしてご先祖様をお参りする姿からも、大切な人を敬うおもてなしのこころを感じることができるのではないでしょうか。
 
 そんなお盆の時期には、多くのお寺で施餓鬼(せがき)の法要が行なわれますが、これはお釈迦様のお弟子さんである阿難尊者の逸話に由来します。
 阿難尊者が坐禅をしていると、突然目の前に餓鬼が現われました。餓鬼とは生前に嫉妬深かったり貪る行為をした人の赴く先であり、常に飢えや乾きに苦しんでいる存在です。そんな餓鬼が「3日以内にあなたは死に、そして私のような醜い餓鬼となるだろう」と阿難尊者に告げました。
 阿難尊者は驚き、お釈迦様に相談すると「海や山の食物を供え法要を営みなさい。お経によって供物は無量に増し、多くの餓鬼に施され救われる。そうすればあなたも餓鬼の道に堕ちず、仏の道を悟ることができるでしょう」とお答えになりました。こうして、阿難尊者が餓鬼に施し供養をしたのが、施餓鬼の始まりだとされています。(『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』)
 この教えから施餓鬼会では、専用の棚を設えて海や山の食物をお供えし、お米やお水を餓鬼に施す法要が行なわれます。それと同時に各ご家庭でも「お盆棚」「精霊棚」といったお盆飾りを設え、茣蓙を敷き笹竹を飾り、盆提灯やホオヅキで彩り、夏野菜である胡瓜や茄子をお供えします。ご先祖様に早く来て欲しいために胡瓜を足の速い馬に見立て、また別れが名残惜しいため、茄子をゆっくりと帰る牛に見立てることに由来します。
 棚の前でお参りをする棚経の際、飛行機の玩具が棚にお供えされている家がありました。施主様に尋ねると、胡瓜の馬と茄子の牛の由来を知った小さなお孫さんが、それならじいじに早く会えるよう、また快適な空の旅を楽しめるようにとお供えしたものでした。まさに小さなお孫さんが祖父を想う「おもてなしのこころ」を垣間見た瞬間でした。

  ご先祖様を敬うことは、自らのこころを育むことである。

 近年では日本においても、利己主義の発達や格差社会の問題が紙面を騒がせています。「自分だけ良ければいい」「目に見えないものは必要ない」。
 利益や利便性を追求するあまり、大切なものを見失っているのかもしれません。そんな時代だからこそ、和を以て貴しと為し、絆を重んじる日本人にとって、暑いお盆の季節に少しだけ手間と苦労をかけ、ご先祖様をお迎えすることに大いなる意味があるのではないでしょうか。
 おもてなしのこころを大切な人へと届けるために。

泰丘良玄

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