法話の窓

この泥が あればこそ咲け 蓮の花

 

 今年もお盆が近付いてまいりました。この一年の間にご家族ご親族を亡くされた方もいらっしゃることと思いますが、きっと今までとは違ったお気持ちでお盆をお迎えのことと存じます。
 お釈迦様の説かれた「八苦」の中に、愛別離苦―私たち人間には誰にも愛する大切な人達がいるけれども、いつの日にか必ずそういう人達とも別れていかなければならない苦しみ―があります。
 当山のお檀家さんにも大変に仲睦まじい御夫婦がいらっしゃいました。いつもお二人で散歩をされたり、お寺やお墓へお参りにお見えになりましたが、昨年ご主人がご病気で他界されました。奥様は大変肩を落とされて、四十九日のお勤めが終わった後も、お寺へお見えになっては「家にいると悲しくて悲しくて涙が止まらないので、こうやってお邪魔させてもらってるんです」とよくお話しされていました。
 当山には蓮が数鉢あるのですが、毎年春に蓮の植え替えをしております。丁度その時に奥様がお見えになって、「お寺の蓮は毎年主人と二人で楽しみにしていたんですよ。本当に綺麗で見てるだけで心が安らぐし、私もやってみようかしら」とおっしゃるので、一緒に植え替えを手伝っていただくことにしました。蓮の植え替えはなかなか大変で、特にこの泥がなかなかの曲者であります。服に跳ねるとこびりついてなかなか落ちませんし、素手で触れれば爪の間に入りこんで、匂いもなかなか落ちません。
 やっと作業が終わって手を洗ってから、ふと奥様が実に清々しい顔でご自分の手を見ながら話されました。「この泥は私の悲しみと一緒ですね。洗っても洗っても全然落ちない。私は主人が亡くなって本当にずっと悲しくて、こんなに辛い思いをするくらいなら、いっそ出会わなければ良かったと思う時もありました。でもやっぱり私は主人に出会えて幸せでしたし、これだけ悲しくて辛いのは、主人の事をそれだけ大切に思っているからなんだなって気付けたように思います。そしてこの気持ちはとても温かいんです。蓮だってこの泥があるから綺麗な花を咲かせるんですよね」。
myoshin1507a.jpg 「この泥があればこそ咲け蓮の花」という言葉があります。蓮は水に浸けるだけでそこから花を付けることは絶対にありません。私達も同じで、愛別離苦という泥があるからこそ、蓮の花のように綺麗な故人への想いに改めて気づいていく事ができるのでしょう。奥様も消えない悲しみの中に故人への大切な想いを再認識されたのです。
 今境内では奥様と植え替えた蓮の花が綺麗に咲いております。たとえ愛別離苦の中にいても、かけがえのない人達へのその想いを大切にして、皆様にとって良いお盆をお迎え頂ければと心よりお祈り申し上げます。

平田智厚

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