法話の窓

いま生命(いのち)あるは有難し

 

今から約2500年前の4月8日、お釈迦さまは誕生されました。そのお釈迦さまの教えに、

人間に生まるること難し
やがて死すべきものの
いま生命(いのち)あるは有難し (法句経 182)

とあります。お釈迦様はある時、大地の土を爪の上にのせ、阿難尊者に「大地の土と爪の上端における土、いずれが多いか」と問われました。阿難尊者は、「大地の土の方がはるかに多いです」と。お釈迦様は、「そうだその通りだ。生きとし生けるものは、大地の土の如く無量無数だけれど、人間として生を受けるということは、爪の上端における土の如く、ごくごく稀である。かけがえのない生命を大切にし、二度とない人生を悔いのないように励みなさい」と、さとされました。
 その受け難き人身もやがては滅します。そのいつの日か滅する生命が、今日もまだ亡くならずに日暮らしができている。これ程有難いことはありません。
 先年、千葉の女高生が「幸せのはひふへほ」を、ある新聞に投稿していました(「幸せのはひふへほ」については、出典不明)。
 

myoshin1504a.jpg「幸せのはひふへほ」
は...半分でいい
ひ...人並みでいい
ふ...普通でいい
へ...平凡でいい
ほ...ほんの少しでいい

幸せって人それぞれです
私はいま生きている。それだけで幸せです
お父さんお母さん、私を生んで育ててくれてありがとう
(千葉 17歳 女高生)


 「もっとキレイになりたい。もう少しお小遣いがほしい」。と言いかねない年頃の女の子達の中で、17歳の彼女は「生きているだけで幸せ」と言っています。そして、生きとし生けるものの中で、人間として生をさずけてくれた両親に、「私を生み、そして育ててくれてありがとう」と、感謝の気持ちをあらわしています。私は彼女の投書に心打たれました。
 かけがえのないこの尊い「いのち」。どう生きたらよいのでしょう。道元禅師の言葉に

勤むべきの一日は 尊ぶべきの一日なり
勤めざるの百年は 恨むべきの百年なり

とあります。一所懸命生きた一日はすばらしい一日です。逆に百年の齢を重ねることができても、社会やまわりの人々に迷惑をかけ通しの百年ならば、お祝いどころか恨むべきの百年です。
 どう生きるか。一日一日一所懸命生きることが大切です。まわりの人に比べると、多少長い短いはあるでしょうが、たとえそのお方の人生が二十年でも、一所懸命生きた人生は、すばらしい人生です。

森哲外

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