法話の窓

師走に調える

 

 早いもので今年も残り僅か1ヶ月を残すのみとなりました。
 12月は旧暦で「師走」(しわす)と呼ばれ、その語源は、年末は僧侶がお経をあげるため、街中を走り回っていたからという説や、為果つ(しはつ:なしおえるの意味)などの言葉が変化したという説など、明らかではないようです。しかしながら、明治時代を代表する詩人・正岡子規が「忙しく 時計の動く 師走哉」と詠んだように、年末に何かと気忙しさを覚えるのは、昔も今も変わらないのかもしれません。
 何故、師走は時計が忙しく動くように感じるかといえば、今年やり残したことがないように行なういわば「今年の総決算」と、新しい年を清々しく迎えることが出来るように行なう「来年の準備」を同時に行なうからではないでしょうか。
 妙心寺派には、日々の生活を送る上での努力目標ともいえる「生活信条」があります。その一つに「一日一度は静かに坐(すわ)って 身(からだ)と呼吸(こきゅう)と心(こころ)を調(ととの)えましょう」とあります。

 日本三景の一つ、宮城県松島にある国宝瑞巌寺では、大晦日に「火鈴様(こうりんさま)」と呼ばれる、七百年近く続いている火伏せの行事が行なわれます。首に大きな鈴を掛け、白装束に身を包んだ住職名代の僧侶がその鈴を振り、般若心経を繰り返しお唱えしながら、一晩中松島町を歩くのです。

myoshin1512a.jpg 修行僧の頃、師匠である瑞巌寺住職・起雲軒老大師の名代として、火鈴様に指名されたときのことです。歩を進める反動を利用し、首から下げた大きな鈴を腹部に打ち付けることで鳴らす鈴の音を魚鱗(木魚)代わりに、般若心経をお唱えします。始めは慣れぬことに戸惑いもあったものの、やがて身(歩)と呼吸(鈴の音)が調うことで、自然と心は般若心経をお唱えすることに集中してゆきました。しかしながら深夜も二時、三時を過ぎますと、途中小休止を挟むとはいえ、声は枯れ、寒さと疲労で身(からだ)の感覚も少しずつ失われてゆきました。少しだけ気が緩んだ次の瞬間、突然今まで何時間もお唱えし続けてきた般若心経の次の言葉を見失ってしまったのです。「今はどの部分をお唱えしていただろうか。次はどの言葉であったろうか」と考えれば考えるほど、分からなくなりました。そこでとにかく初心に帰ろうと、改めて姿勢を正し、一歩一歩としっかりと歩を進め、そして次にリズムを正し、鈴の音を鳴らすことにいたしました。すると、頭の中でバラバラとなっていた般若心経が、元に戻り口から自然と出てきたのです。恐らく非常に短い時間であったと思うのですが、私にはその身(からだ)と呼吸(こきゅう)と心(こころ)の歯車が狂った時間が大変長く感じられました。

 「一日一度は静かに坐(すわ)って 身(からだ)と呼吸(こきゅう)と心(こころ)を調(ととの)えましょう」。
 忙しく時計の動く師走にこそ、少し立ち止まって、身(からだ)と呼吸(こきゅう)と心(こころ)の足並みを揃えたいものです。

*写真提供 瑞巌寺

天野太悦

ページの先頭へ