法話の窓

報恩謝徳

 

myoshin1511a.jpg 11月11日は花園法皇忌であります。花園法皇忌とは、自らの別荘地であります離宮を妙心寺としてお開きになった、第九十五代天皇の花園天皇がお亡くなりになられた日であります。花園天皇は、大徳寺の開山である大燈国師のもとで仏の道に精進されました。13年の後、お悟りを開かれ花園法皇となられました。
 花園法皇がお亡くなりになられる前年に妙心寺の開山、関山慧玄禅師に残されたお手紙があります。法皇自らお書きになったお手紙ですので、御宸翰といいます。御宸翰に「報恩謝徳」というお言葉が、出てきます。「報恩謝徳」とは恩に報い徳に感謝するということです。
 「恩」には四つの「恩」があります。「四恩」といいます。「徳」には「めぐむ」という意味がありますので、四つの「恩」から得ている「めぐみ」に感謝し、報いていくということではないでしょうか。
 「四恩」の一つに「父母の恩」があります。父と母がいるからこそ、私たちはいまここに命をいただいているのです。当たり前のことのようですが、父と母にも両親があり誰かがいなければ私たちは存在することができなかったのです。
 先日、私の叔父の四十九日が執り行なわれました。近頃ではまだ若いほうだと思われます、63歳で亡くなってしまったのです。私のいとこにあたるその子供はやっと大学を卒業し、働き始めたばかりです。「これから両親に恩返しをしていきたい」と言っていた矢先のことでしたので、その落胆は大変なもので、通夜葬儀の後も悲しみに暮れるばかりでどうしていいのかわからない様子でした。
 しかし四十九日の法要後、お墓参りに行って手を合わせておりますと、「小さい頃、お父さんとお墓詣りに来て手を合わせていた頃のことを想い出すことができるようになってきた。お墓に行ったら手をあわせる。こんなことが自然にできるようになったのは、小さい頃からお父さんのその姿を見ていたかなんだろうな。」そのように言っていました。
 自分が小さい頃は気が付かなった事もあるかもしれない。しかし、親の恩を自分が知らないうちに頂いていることもあるからこそ、今の自分があるんだということに気づいたということです。私たちのお父さんと、お母さんが生きている間には、照れくさいときもありますがまだご恩返しができます。残念ながら亡くなってしまった方に対しましてはお墓に手を合わせたり、御供養していくことで御恩返しをしていくことができます。
 父と母から頂いた「めぐみ」に御恩返しをしていくことが、報恩ということになっていくのです。報恩謝徳の思いをもって日々を過ごしていきたいものであります。

坂本宗耕

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