法話の窓

語ることのむつかしさ

 

 2001年9月11日、ニューヨークで起きた「同時多発テロ」の後、世界中で多くの論評がなされましたが、日本の片田舎の一介の坊さんにすぎない私も、あちこちでぼそぼそと思いを語ったり書いたりしました。その時引用したのが『法句経』(ダンマパダ)の中の言葉でした。

まこと、怨みごころは
いかなるすべをもつとも
怨みをいだくその日まで
この地上にはやみがたし

ただうらみなきによりてこそ
このうらみは息む
これ易(かわ)りなき真理(まこと)ぞ
(友松圓諦訳)

 ブッシュ大統領や小泉首相への批判の気持ちもありましたが、語る前からやせ犬の遠吠えで空しいことはわかっていました。
 2011年3月11日、東日本大震災の衝撃はとてつもなく重く大きなものでした。さまざまな報道を見、関連する雑誌や本を読み、私なりに考えてきました。しかし私の思いを語ろうとしても言葉の無力感が先にきて何も語れなくなりました。そんな時、ある人の文章を読んで説教師としての自分と重なって白白しい気持ちになりました。そこに引かれていたのがよく知られた良寛さんの言葉でした。

 災難に逢ふ時には、災難に逢ふがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候。

 こんなこととても言えません。現状を吾が事としてみるならばこのような千代紙のような言葉には何の力もありません。
 それにしても今の安倍政権の暴走には心が痛みます。原発再稼働を進めて被災地の苦しみのことなどすっかり忘れています。
 良寛さんは、新潟の三条を襲った大地震の時に親戚にあてた手紙の中で先の言葉を書いているのですが、その時こんな感想も残しています。

 世の風潮が軽はずみになること馳せるがごとくだった。久しく太平無事であったのになれて人の心はゆるみきってしまった。おのれを傲慢にし他人を欺瞞するものを世渡り上手だと心得るようになった。こんな有様だから、こんどのような災いを受けたのももっともなことだ。お互いに身を慎んで、けっして悪事にくみしてはなるまいぞ。

 良寛さんは「生きとし生ける者に申すが」と言っているけれど、私は安倍首相にこそ、このことを強く言いたいと思います。やはり馬の耳に念仏でしょうが。

松島恵定

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