法話の窓

こいのぼりの願い

 

 今年もこいのぼりを上げる季節がまいりました。大きな口を開けて、風をはらんで空の大海原を泳ぐこいのぼりは好時節を告げる象徴でもあります。
 先日、息子と一緒にこいのぼりの上げ下ろしをしていると、「お父さん、あれ何や?」と聞かれました。
 見ると、吹き流しを指さしています。黒の真鯉がお父さん、赤い緋鯉がお母さん、青や緑は子供たち。ところがその上の吹き流しはなんなのか。その時はきちんと答えることができなかったので、後で調べてみたところ、いろんなことが分かりました。
 まず鯉のぼりの吹き流しの色は、言うなれば魔除けの色なのだそうです。それから、最近の吹き流しには龍が描かれていることもありますけれども、あれはやはり、鯉が滝をぐんぐん登っていって、やがて龍となって天に昇るという「鯉の滝のぼり」の中国の逸話から、子供たちの成長と出世を願う意味が込められているようです。

 本山級の大きなお寺に参りますと、仏法の教義を講じる「法堂(はっとう)」と呼ばれる大きなお堂の天井に龍が描かれていることがあります。あの龍は仏法を守る守護龍としてお堂に住んでいます。「八方睨み」と呼ばれることもあり、私達がどこにいても、見守ってくださっています。
 吹き流しに描かれた龍もきっと、仏弟子である私たちを見守って下さっているんだと、以来そんなつもりで、こいのぼりの上げ下ろしをするようになりました。

 お釈迦様は、「今この三界は皆これ我が有なり、その中の衆生は悉くこれ我が子なり」(『法華経』譬喩品)、つまり「今、この世界のすべては私の家であり、その中に住む生きとし生けるものは私の子供だ」とおっしゃられました。
 行くところ全てが自分の家であり、我が子だけでなく、全ての人が自分の子供だと思えるならば、そこから大きな慈悲、愛情が生まれてくるのではないかと思います。それが、最も高い人生観といえるのではないかと思います。

 こいのぼりが地域の子供たちの成長を見守るように。法堂の龍が仏教に帰依する方々を見守るように。私がこいのぼりとなって、あるいは私が守護龍となって、人生で出会う有縁の方々の幸せを祈り、一度も出会うことのない無縁の方々の幸せを願って生きていく。お互いがお互いの幸せを願いあうことができたなら、この世はもっと素晴らしくなるのではないかと思います。

 皆様、どうかお幸せに。
 

関守研悟
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