法話の窓

さとうきび畑(2013/03)

 何気なくテレビをつけ、机の上の仕事をしているときハッとした。心に染み入るような歌が流れてきた。それはまるで天空から降り潅(そそ)いでくるような美声であった。
 身が震えるような感動が湧き起こった。このうたは何という歌だろう?この歌を歌っているのは誰だろう?画面に釘付けにされた。五十歳前後の全盲の歌手だった。
 彼は沖縄県出身で生まれたとき不慮の事故で失明した。ラテン系アメリカ軍人の父は、戦後離婚し母国に帰った。母は彼を捨てて失踪してしまった。天涯孤独となってしまった彼が、筆舌に尽くしがたい逆境の中で常に思っていたことは、
 「自分のような人間は、人生の悪いくじをいっぱい引いて生まれてきた。視覚障害ということ、混血と言うこと、そして親にほうり出されてきたこと、そんないろいろなことを考えると、すべてがもうマイナスに見えて、まさにコンプレックス劣等感のかたまりだった」と言い、更に両親を探し出して、殺したいと思い続けた少年時代であったと言う。
 ある日、彼は自殺をはかった。その時ある宗教家の家族と知り合うこととなった。彼にとってはそれはまさしく一期一会のよい出会いであった。そのことによって自分の人生というのが無意味でないのだ、価値があるのだ、自分は自分でいいのだと考えることができるようになった。そんな彼を支え続けてきたものが『歌』であった。
 県立盲学校から西南学院大学を卒業し、更に武蔵野音楽大学声楽科に入学、大学院を修了して後、世界的に有名なマリオデルモナコを育てた神戸在住の、ボイストレーナーのA・バーランドーニ氏を尋ねた。
 先生は彼の歌を聞き終わると言った。
 「この声は日本人離れした声だ、日本人にはない何か明るいラテン的な匂いのする、オペラを歌うような音色がある。この声は人々のために神様からいただいたものです」
 彼は大変うれしくなって、この神様からいただいた声を、しっかりみがいていこうと決心した。だから彼は「いい出会い、自分の人生が影響を受けるような出会いを、どれだけ持つことができるかが、その人の人生を価値あるものに変えていくのだ」という。
 彼の名は"新垣 勉(あらがき つとむ)"といい、私が聞いたあの歌は『さとうきび畑』であった。
 彼の歌声は多くの人々に勇気と感動と喜びを与え、想像を絶する苦難の中にあって常に明るく取り組んできたすばらしい生き方に、その多くの人々は尊敬の念と、惜しみない拍手を送り続けている。
 現在、全国各地の学校・教会・寺院・施設から病院、家庭に至るまで、年間百五十回に及ぶコンサートが開催されている。そのコンサートの中での話しを紹介します。
 「私たちは生身の人間ですから、どうしても利害、打算、損得、そういう世界に生きていまいがちなんです。人と比べて生きる、人を気にしていく、しかしほんとうは全く比べる必要はなく、比べようとするからねたみだとか、嫉妬だとか、そんなものがいろいろ起こってくるのです。自分があるがままの自分でいいんだ、あるがままの自分を受け入れることが大切だと思います」
 「自信を持つということは、自分は自分でしかないこと。それをしっかり持っていれば、どんなことがあっても乗り越えていけるんじゃないでしょうか」
 中国の偉大な禅僧が門下の修行者たちに、次のような教えを示した。
 「お前たち、自己が本来の自己であることが最も貴いのだ。絶対に計らいをしてはいけない。ただあるがままでよい」
 この教えはその人自身が体得しなければ分からない深い意味を含んでいますが、新垣勉さんの今日の姿は、なぜかこの偉大な禅僧のことばがぴったりあてはまっているように思えてならない。彼は最後に淡々として言った。
 ・・・・・・・人生無駄なものは何一つありません。今は両親を愛しています。父は行方不明ですが、すばらしい美声をもらったことに感謝し、かなうことならその父の前で精いっぱい歌いたいと夢見ています・・・・・・・と。

朝山芳宗

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