法話の窓

精進の人(2012/12)

『......Yさん、あなたの突然の訃報を聞き、私をはじめ多くの農業者仲間のおどろきと悲しみは大変なものでした。......(中略)...... Yさん、あなたは若い頃から農業一筋に生き、農事研究の熱心さは人一倍で、私たちは多くの農業技術をあなたから学びました。
 あなたこそ、まさに、"精進の人"として生涯を貫いたことを、多くの農業者が知るところであります......』
 右の文章は、今年の六月九日に亡くなられた私の寺の檀信徒Yさんの葬儀で友人代表が述べた弔辞の一部です。
 このYさんは昨年の定期健診で、胃の腫瘍を発見され、更に精密検査では、食道と胃に悪性腫瘍有りと診断され、即日入院でした。
 手術後は順調で、今年三月上旬に退院し、自宅静養することになったが、生来の働き者故、今年の農事のしたくに取りかかり始めたのです。
 そんな三月のある日、墓参りのついでに寺を訪れ、久しぶりに茶飲み話をしました。
 そこで私は「退院後の静養が大切なので無理をしないで下さい」と話すと、笑顔を浮かべ「心配かけてすみません。でも、もう大丈夫です。日頃の癖で、田畑仕事をしていないと落ち着かなくてね......」と話していました。
 この短い会話から、Yさんの日頃の精進ぶりを強く感じさせられました。
 その三ヶ月後、病状が急変し、間もなく亡くなられたのです。
 弔辞にあった"精進の人"という言葉からお釈迦様の述べられた偈を思い出しました。


 人もし生くること
 百年ならんとも
 おこたりにふけり
 はげみ少なければ
 かたき精進に
 ふるいたつものの
 一日生くるにも
 およばざるなり  
        (法句経112)

 

 どんなに長生きしようと、漫然と日暮しするものよりも、自分の仕事に打ち込んで生きるものこそ、たとえ短い人生であってもすばらしい人生を生きることだとお釈迦様が教えられているのではないでしょうか。
 その教えを裏付けるようにYさんの生き方を、実の弟Sさんから聞く機会があったのでその話を紹介してみたいと思います。
 「私の兄は、終戦後の混乱期に新制中学を卒業し、農業高校進学の夢を持っていました。しかし、農家の長男ということもあり、父親の指示で高校進学を断念し、農業に従事するようになったのです。それでも、自分の夢は捨て切れず、農閑期を利用して上京し、日本の植物学者として有名であった牧野富太郎博士を訪れ、植物の生態や分類について博士から教えを受けたようです。更には、北海道大学の農学研究室に足を運び、農業技術の研究成果も学んできたようです。
 兄の農業に対する打ち込みは、真剣そのものであったように思います。とくに、雑穀(あわ・ひえ・きび・もろこし等)の栽培に力を入れ、これからの食料には、雑穀が欠かせないもので、人の健康増進に役立つことを熱心に話してくれました。しかも雑穀がとれると毎年私に送ってくれ、必ず調理法のメモも忘れずに添えていました。
 あまり長い人生ではなかったが、兄なりに精一杯生きたのではないかと思います」
 静かな口調で話してくれた弟さんの目に涙が浮かんでいたのは印象的でした。

 自らを知り、自分の仕事に最後まで精一杯の努力・精進したYさんの精神力は、現代に生きる人々に大きな教訓を与えてくれるものと思います。
 "精進の人"として生きたYさん。宴席で好きなお酒を嗜(たしな)み、農事の苦労話を生き生きと話してくれたありし日のYさん。"かたき精進にふるいたつもの"こそ、「自らを調え、生活を調えていく」ことが出来るのではないでしょうか。

田村宗海

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