法話の窓

おむすびの行方(2012/06)

 師父の兄、祥道伯父さんが亡くなってもう八年になります。神戸の南禅寺派の和尚でした。伯父は小学生の頃、岡山の妙心寺派の名刹國清寺(こくせいじ)で小僧生活を送っています。
 縁あって、その國清寺さまにこの春の定期巡教で法話をさせて頂く事になりました。そのことを伯母に報告したところ、
 「そうですか、精一杯お話ししてきて下さいね」そして、
 「國清寺の門前には小学校があって、その同級生に『亀山浩四郎』という方がおいでたの。主人がよく『亀山君には世話になってなあ』と話していたのよ」
 と感慨深げに話しを続けられました。私が、
 「どんなお世話になったのですか?」と尋ねると、
 「あの頃は、戦時中で食べ物が無い時代でしょ。主人も学校に持っていくお弁当に苦労したらしく、よく國清寺の朝のお粥さんを弁当箱に詰めて持っていったらしいのよ。
 それを知った亀山さんが、お寺での修行も大変なうえに、愛媛から親元を離れて暮らしている主人を不憫に思ったのでしょうね。時々おむすびを主人に持ってきてくださったらしいの」
 「そうですか。有り難いことですね」
 「本当にね。でもそれだけではないの。この話しにはこんな続きがあるの」
 「・・・・・・・」
 「主人が亡くなって一年ぐらい後に、亀山さんがお参りに来てくださったの。その時、おむすびのことを思い出してお礼を言ったら、亀山さんが
 『祥道君は私からもらったあのおむすびをどうしていたと思います?私には分からないようにお弁当を、持ってこられない他の同級生に分けてあげていたんですよ。彼はそういう温かい奴だったんですよ』と。その話を聞いて私、主人のことを思い出してこらえ切れなくなってね、ポロポロッと......」

 六十年後にも届くおむすびの思い。
 その思いとは、頂いたおむすびだけど自分だけでなく他の人にも分けてあげたい。しかし、亀山さんの好意も大事にしなければいけない。だから亀山さんには分からないように他の同級生に分け与えていた伯父の思いであり、またそのことを知っていて言わなかった、亀山さんの思いでもあります。
 伯父も亀山さんも共に黙っていた"おむすびの行方" あのおむすびが六十年経って伯母に、そして伯母を通して私に、どこか私たちが忘れていたものを思い起こさせてくれました。何か大切な温かいものを......。
 ところで、私たちが『忘れていた温かいもの』とは何でしょうか?それは、誰もが本来持っていながら、隠れてしまってなかなか見えてこないもの、つまり「思いやりの心」であり、「施しの心」ではないでしょうか。
 その心を現す方法が『生活(くらし)』の中にあります。例えば伯父の行い。その基になっいるのは日常の掃除、食事といった禅寺での徹底した小僧生活です。この「禅の生活(くらし)」が、伯父の本来あるべき姿を見せてくれたのです。貴重なおむすびを自分だけのものとせず、みんなに分け与えるという布施行をする伯父の姿となって。
 禅の教えを意識しながら生活することが、自らを調え本来の自分を現すことにつながるのです。
 「心は形によって現れる、形によって心が調えられる」と言いますが、繰り返し形を行ずることにより、心が静かに落ち着いてまいります。仏の教えにかなった行いを生活の中で習慣づけたいものです。
 お互いの心をしっかりと結ぶ、伯父と亀山さんのおむすびの話しから、そんなことに気付かせて頂いたことでした。

新山玄宗

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