法話の窓

笑顔って素晴らしい(2009/12)

 その人の笑顔を見なくなって、幾月過ぎたでしょう。その人の子供達は独立し、ご夫婦二人だけでの生活でした。

 ご主人が定年で退職し、自由な時間を持つことができるようになり、二人で旅行したり、畑や花を作って、楽しい日々を送ろうと話していた矢先、ご主人が脳溢血で倒れられて入院されました。それからその人は、家を畑を守り、一日一回は車で四十分はかかる病院へ行かれる日々が続きました。そうしますと、徐々に心に余裕がなくなり、自然と顔つきも険しくなり、化粧もせず、心身共にお疲れの様子が窺えました。

 

 月に一度、お家にお参りに行っていたのですが、それからは愚痴の聞き役です。何もそんな状況にあるのは、貴女だけじゃない、もっともっと大変な方もおられると、例をあげて話をしたり、仏教の話もするのですが、まるで耳に入らないのです。ただうなずくばかりで、自分の不幸をわかってもらいたい一心のごとく、とうとうと話すのです。このままではその人も倒れてしまう。何とかできないものか。教え説いても一向に効果ありません。本人が気づく以外ないのだろうか。そうして半年が過ぎて行きました。お参りに行くのも何となく気後れしがちでした。

 

 ところが、ある日お参りに行くというと、その人はきれいに化粧しておられるのです。身体の調子が良いのか、良いことがあったのかニコニコして迎えてくれるのです。
話をしていて私が冗談を言うと(それまではあまり通じなかったのですが)ニッコリと微笑み、笑われたのです。あっ笑顔が戻った。無邪気な笑顔、非常に素敵で美しく感動すら覚えました。

 

 「奥さん、奥さんの笑顔って、ものすごく美しいですね。」と、思わず言うと、「和尚さん、またお上手言って。」と、余計笑われるのです。そして真顔になり言われました。「和尚さん有難うございました。いろいろ教えてもらいましたが、それはすべて他人ごとだから言えるんだ。当事者になればそれどころではない。これから二人で人生を楽しもうと思っていた矢先、こんなことになり、毎日毎日その日を送るのがやっとでした。余裕なんてありません。なぜこんなことになったのだろう。何も悪いことなどしていないのにと、身の不運を嘆くばかりでした。ところが先日、病室の花を換えようと洗面所に行き何げなく鏡に映る自分の顔を見てビックリしました。化粧もせず、こんなきつい顔をして毎日主人のところへ来ていたのかと、愕然としました。和尚さんが言われていた『化粧もお布施ですよ』の言葉を思いだし、昨日は久しぶりに化粧を念入りにして主人のところへ行ってきました。そしたら和尚さん、主人が『お前、今日は綺麗だね。』って、充分に言えない口で、笑顔をつくって言うのです。

 

 病院で寝たきりの主人の方が、もっともっと辛い思いをしているのだと気づきました。本当に自分のことばかり考え、心が歪むところでした。主人の笑顔を見た時、ホッとしました。それで和尚さんがよく教えてくれていた、お金がなくても、この身体さえあればできるお布施(無財の七施)を書いて下さい。主人にもその教えを知ってもらいたいのです。」さっそく無財の七施(和顔悦色施・眼施・言辞施・身施・心施・牀座施・房舎施)と、解説を書き、お渡ししました。

 

 御主人もリハビリに励んでおられ、お二人で旅行に行かれるのも遠いことではないでしょう。その人が思っておられた人生の楽しみを経験できるでしょう。しかし、後々になって自分をふり返り、自分の幸福な時っていつだっただろうと考えた時、きっと、ご主人が病に倒れ、完治を願いなりふりかまわず過ごした日々、苦しく大変だったけれど、幸福だったと気づかれると私は願い思っています。
 笑顔って、雪を融かす春の日差しのごとく、かたくなな心を解かしてくれます。

 

  私に下さい、あなたの笑顔を、
  そして上げて下さい、
  まわりの人達に。

 

土方義道

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