法話の窓

自らも成り切る(2009/10)

 平成十四年度からの〈禅 自らを調え、生活を調えましょう〉というテーマも今年度で四年目を迎え、いよいよ最後の年となりました。過去三年間のサブテーマとして、みんなで幸せになれるよう、喜びを与えましょう(布施)・優しい言葉で語り合いましょう(愛語)・心のこもった助け合いをしましょう(利行)というテーマを通して、自らを調え、生活を調えられてこそ、人間はみんなで幸福になれるということを追究してきました。そして今年はその集大成となり、最後のサブテーマとしては、〈みんなで幸せになれるよう、人の身になって尽くしましょう〉ということです。これは〈同事〉ということになります。同事とは、他人と協力すること、形を変えて人々に近づき行動を共にする、等しく行動をする。あるいは同じ仕事にいそしむとあります。しかし、ただ他人と行動を共にすればよいということではありません。悪いことをする人たちに協力してはなりませんし、また、そういう人たちと等しく行動をしてしまっては、それは同事にはなりません。悪の道に迷っている人がいたならば、その道から救ってあげられてこそ同事という行いになるのです。迷える人々、救いを求める人々に自らも成り切り、その迷いを断ち切るという、菩薩様が一切衆生に成り切って、迷える人々を救って下さるという菩薩行、これこそが同事ということではないでしょうか。

 

 ここ数年、世界中ではたいへんな災害が多く発生しています。スマトラ沖地震による津波。テレビの映像を見ているだけで身が震える思いでした。国内でも何度も上陸する大型台風による被害、新潟中越地震、福岡県西方沖地震等大災害が発生しました。各被災地へは多くのボランティアのグループが出向き、被災をされた方々のために一生懸命に活動をされたようです。こういう活動はたいへんすばらしく、これこそ同事であると一見思われるのですが、そうでない所もあるのではないでしょうか。

 

 私は阪神大震災の時、本山からのボランティアに参加させていただきました。拙寺の檀家が灘区にあり、当然のこと被災されていました。そのお見舞いにも行きたく、ぜひ参加させていただきたいと思ったのです。神戸の各被災地へは各地から多くのボランティアのグループが懸命に活動をされています。私たちは祥福僧堂へ投宿させていただき、兵庫駅前にテントを張り、うどん等の炊き出しをしました。被災者の方々にはたいへん喜んでいただき、私は本当に来てよかったと感じていました。昼間になるとテントの中はいっぱいになり、慌ただしくなります。被災者の方々の待ち時間も長くなってきました。その時、「早ようしてや、さっきから待ってるやん」という声が聞こえたのです。その言葉を聞いた時、私の心が変化しました。顔はきつくなり、言葉も少し乱暴になってきたのです。私はボランティアに参加させていただきながら、もっとも大切な、同事ということを忘れていたのです。救いを求める人々に成り切るということを完全に忘れていました。一生懸命のつもりが心のどこかで「させていただいている」という思いではなく、「してやっている」という被災者の方々と同じ立場ではなく、自分の方が強い立場にあるという気持ちがあったように思えてなりません。同事とは自らも成り切るということです。自分も同じ立場に成り切ってこそ真実なる同事という行いが生じてくるのです。そのためには四年間追究してきました。

「禅 自らを調え、生活を調えましょう」ということを充分に理解していくことが大切であると思います。自らを調え、生活を調えられてこそ喜びを与える布施。優しい言葉で語り合える愛語、人々に利益を与える利行。そして人の身になって尽くすという同事という行いができるのではないでしょうか。みんなで幸せになれるよう日々の生活の中でぜひ実践していきたいものです。

辻 良哲

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