法話の窓

無一物中無尽蔵(2008/07)

 私の住む地域では、八月十三日から十六日までの四日間がお盆です。

 お盆とは盂蘭盆といい、その語源はインドのサンスクリット語「ウランバーナ」からきており「逆さ吊りの苦しみ」を意味する言葉です。

 逆さ吊りの苦しみとは、わが身かわいさゆえの苦しみです。自らをかわいいと思うとらわれが、一番かわいいはずの自分自身を苦しめてしまうのです。

 中国の詩人、蘇東坡は心の安らぎを「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう) 花有り月有り楼台有り」と詠まれました。私に何もとらわれがなくなったとき、すべてがありのままに輝く和合の世界であったことに気づける。

 以前、私のお寺に四国八十八ヶ所のお遍路さんに投宿していただいたことがありました。その方は、奥さんを亡くされた絶望の淵で、さらには、自分の良心に反して会社の利を追わなければならない。大切な人との別れだけではなく、自分の思いを通すことが許されなかった現実に嫌気がさし、遍路生活をはじめたとのことでした。
私たちもまた、そういう中にいます。自分の言葉と心。人から受ける言葉と行為。それらに矛盾を感じ、苦しまねばならないときもあるでしょう。世の中が嫌になり、無意味に思えてしまうこともあるかもしれません。

 しかし、このお遍路さんは旅の中で学ばれたそうです。すべてが無意味に思えていたけれど、一度しがらみから離れてみると、今まで見向きもしなかった花や月や楼台が語りかけてきて、人の心も暖かく感じることができた。共に生かされていることがわかった。そして、心も癒されていったそうです。

 お盆には普段のしがらみを離れ、ゆっくり我が家のお墓にお参りしてみてはいかがでしょうか。いつもの風景の中にも、昨日とはまるで違う輝きがあることに気づくでしょう。

 

曽我部 祖純

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