法話の窓

始めの一歩

 長い冬が終わり、待ちに待った春の到来です。植物も動物も活発に動きだす季節。私たちのだれもが、春という季節の始まりに心も膨らみます。

  「数字の始まりが一ならば、国の始まりは大和の国、島の始まりは淡路島……」

 ご存じ「男はつらいよ」寅さんの口上です。物事には何事も始めがありますが、初心忘るべからず。始まりは肝心なようです。

 私たちの生活の全てにおいて、同じことの繰り返しはなく、始まりの連続です。坐禅も最初の一呼吸から始まります。この始めの呼吸を一つ一つ切れ目なく続けて行くことが坐禅です。写経も同じ、心を静かに調えて最初に書く一文字のように最後まで書いていく。これがなかなか難しいですね。でもやっていく。

 もう何年も前の話ですが、四国お遍路に行った時、一日中歩いているわけですから色々考えます。あと何キロ歩くのかな、昼ご飯たべられるかな、野宿できる場所はあるかなって。その時、私は何のために歩いているのかな? と思いました。お遍路を歩くため。そうだ、歩くため。歩く=一歩足を出すこと。全ては一歩だ!一歩一歩。何日も何日も一歩一歩。二歩目の一歩も無ければ百歩目の一歩もありません。全てが初めの一歩です。そのうち一歩という感覚もなくなって、気が付いたら有難くって有難くって号泣しながら歩いている私がいました。お遍路の距離は1600キロですが、お遍路の心はこの最初の一歩に帰るのだと気が付いたのです。

 何も染まっていない最初の心を無心というのでしょうか。この心で日々生活したいものですが中々難しいものです。すぐに思い込みや色眼鏡で物事をはかり、偏った考えで言動を発し、後で後悔することもしばしばです。そんな時は、一度立ち止まって深呼吸。できれば、毎日数分でも坐禅の時間を設けてください。静かで調えられた場所に腰を落ち着け、姿勢を正して(正座でも結構。坐禅会に参加されたらなお良し)ゆっくり一呼吸。その心を大切にしたいと思い生活しています。

 この春、新しい環境に飛び込む人も、そうでない人も毎日新しい一日を生きていることに変わりはありません。一歩一歩一呼吸一呼吸を大切に。
 

青井直信

 

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