法話の窓

ボーっと生きてんじゃねーよ

「ああ、時間がない。何を書こうか。」
 
 12月の半ば頃、私はパソコンの前で頭を悩ませていました。というのも依頼を受けていた法話原稿の締め切りが間近に迫っていたからです。それなのに一切書けていない。「気の毒に、年末の忙しい時に。」と思って下さる方がおられるかもしれませんが、この件に関しては完全に自分が悪い。なぜなら依頼を受けたのは一ヶ月前なのですから。すぐに取りかかっていればもう書き終わっていたはずです。それなのに、「まだ時間がある」「まだ大丈夫」「今日は気分が乗らない」とだらだら先延ばしにして全く手を付けなかったのですから。さすがに焦りを覚えてやっと書き始めたのが締め切り一週間程前。それもなかなか進まずに苦しんでいたのです。「こんなことならさっさと済ませておけばよかった」と思いましたが後悔先に立たず。思い返せばいつも同じような失敗の繰り返しです。全く学習していません。その時、隣の部屋から「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんの声。(どうやら妻がNHKのクイズ番組「チコちゃんに叱られる!」を見ていたようです)。私にはそれが、懲りずに同じ失敗を繰り返す自分が叱られているよう聞こえてなりませんでした。

 私たちの毎日の生き方についてお釈迦様が次のような教えを残されています。
                  
  過ぎ去れるを追うことなかれ いまだ来たらざるを念うことなかれ
過去 それはすでに捨てられたり 未来 それはいまだ到らざるなり
ただ今日まさに作すべきことを熱心に作せ
                                      (『一夜賢善経』より)

 「歳月人を待たず」という言葉があるように時は常に流れており止まることはありません。そんな時の流れの中でやって来た今日という一日。それは私たちの人生において二度とめぐって来ない、そして決して取り戻すことのできないありがたい大切な一日なのです。けれどもその事実に私たちはなかなか気付けません。今日も明日も当たり前にやって来ると思っています。その結果、ついおざなりな時間を過ごしてしまうのでしょう。「明日があるさ」という具合に。これでは大切な毎日の無駄遣いです。だからこそお釈迦様はこの教えの中で、「今日という日を大切にせよ。一日一日を大切に生きていきなさい。」と説き、私たちを戒めて下さっています。なんとなく迎えた今日という日。それが実はありがたい一日であることを自覚し、その日にするべきことを丁寧に確実に行なっていく。時間を無駄にすることなく。それがチコちゃんに叱られないボーっとしていない生き方、一日一日を大切に生きるということなのではないでしょうか。

 最後になりますが明けましておめでとうございます。一昨年来続くコロナ禍もようやく収まりつつある本年が(変異株の動向もありまだ予断を許しませんが……)、皆さまにとって平穏無事な毎日であることを願っております。ちなみに、私の今年の目標は「チコちゃんに叱られないよう、今日という日を大切に生きる」です。
 

今野慈耕

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