法話の窓

勤労の場は自分磨きの場

 11月23日は本年最後の休日である勤労感謝の日です。辞典を引きますと、勤労感謝の日とは「国民の祝日のひとつ。勤労を尊び生産を祝い、国民が互いに感謝しあう日とするもの」と説明してあります。仕事を大切にして仕事の成果を喜び、お互いを感謝しあう日ということです。日々の仕事は単に生活費を得るためだけではなく、仕事を通して人として大切な心も高めていく、そのように理解できます。
 禅宗寺院においても日々の勤労、仕事を、心を高め心を磨く修行の一環として大変重要視しています。坐禅や読経などは勿論ですが、掃除や畑仕事などの労働も作務(務めを作す)と言って、大切な修行と位置づけているのです。

 中国唐の時代の高僧百丈懐海禅師に「一日作さざれば、一日食らわず」(「一日不作、一日不食」)という有名な言葉がございます。百丈禅師はご高齢になられてもなお、率先して畑仕事などの作務をされていました。
 ある時、百丈禅師のお身体を心配した弟子達が、禅師に少しでもお身体を休めて頂こうと禅師の作務の道具を隠しました。百丈禅師は道具が見つからなかったのでその日は作務を休まれ、食事も一切とられませんでした。弟子達が食事をおとりにならない訳をお聞きしますと、禅師は「一日作さざれば、一日食らわず」と答えられたのです。
 今日一日自分は作務をしなかった、大切な修行を怠ったから、申し訳なくて食事を取ることはできない、と作務の大切さを自らお示しになったのです。作務を行なうこと、仕事をすること、それがそのまま大切な修行、自分磨きの場であるということです。

 さて、私たちの日々の仕事の場においては、楽しいこともあれば逆につらいことや苦しいこともあります。人の批判や悪口に心を痛める事もあるのが現実です。あの発明王のトーマスエジソンは言っています。「人から批判されることを恐れてはならない。それは成長の肥やしとなる」と。
 人生は一度きりです。その尊い人生の大半の時間と精力を注ぎ込まれるのが仕事の場、勤労の場です。ならば苦楽をともにしっかりと受け止め、苦楽を心の肥やし糧として強く歩んでいきたいものです。きっと勤労の場がそのまま自分磨きの場としてさらに輝き、そこにあなただけの素晴らしい花が開花することでしょう。
 最後に仏教詩人の坂村真民さんの言葉をご紹介します。

      生も一度きり
      死も一度きり
      一度きりの人生だから
      一年草のように
      独自の花を咲かせよう

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