法話の窓

ひるごはんはなんじ?

皆さんによく紹介させてもらう「なぞなぞ」があります。
 「おやつ、は3じですよね。晩ごはんは5じです。じゃあ昼ごはんは何じでしょう?」
 皆さんけっこう頭をひねります。「12時と答えたんじゃなぞなぞにならんしなあ……」。そのとおり、答えは、昼ごはんもやっぱり5じです。
 謎解きをします。片方の手のひらを広げて、もう一方の手の人差し指でそこにひら仮名で書いてみてください。「お、や、つ」は3字です。「ば、ん、ご、は、ん」は5字、昼ご飯も、やっぱり5字なんです。
 「なぞなぞ」は、この「ひるご飯はなんじ?」に限らず、発想の転換といいますか、柔軟なものの見方・考え方を教えてくれる物、という気がします。このことは人生にとってとても大切なことではないでしょうか。

 ジャンケンをしましょう。一人ジャンケンでもいいです。ジャンケン、ポン。グーとチョキ、0対2でチョキのかち。パーとチョキなら5対2でパーの勝ちです。要は発想の転換です。

 私たちは人生行路のなかで様々な場面に出会います。例えば悲しい場面や苦しい場面に遭って、それを悲しい苦しいとばかり考えていると悲しさや苦しさが増幅されます。最悪の結果(たとえば自殺とか)が待ち受けていないとも限りません。そんな時に大切なのが、発想の転換です。

 江戸時代の終わりごろ、九州の博多に仙厓さんという大変偉い老師さんがいらっしゃいました。老師さんは大変親しみやすい方で、人に頼まれ事をすると嫌とは言えない人でした。
 「和尚さん、この世で一番めでたか事を、何か一筆書いてください」。わかったと言って、仙厓さんは筆で紙に、上から下へサラサラと書きました。
 「親死 子死 孫死」
 めでたい事を書いてくれと頼んだのにと、怒った様な顔をしているその人へ向かって仙厓さんは言いました。「どうじゃ、こんなめでたかことはなかばい、もしこれの順が逆になったら本当に困るばい」。

 もう一つ仙厓さんのエピソードをご紹介しましょう。仙厓さんは絵も大変お上手な方で、ある時お金持ちの人の新築の祝いに招かれ、「何か一つおめでたいことを絵に描いてくれませんか」と頼まれました。さっそく筆で紙の真ん中に立派な家を描き、その家を囲むように沢山の貧乏神を描きました。
 さらに添える言葉を書きます。「この家を貧乏神がとり巻いて」……。そこでチラリと家の主人の顔色を見ます。先ほどから黙って見てると、このクソ坊主、縁起でもないことを書きやがって……とばかりに顔色が真っ赤です。
 そこで続けて下の句を書きました。「七福神の出るすきも無し」。


豊岳澄明

ページの先頭へ