法話の窓

合掌の中から

春彼岸のお中日となる春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨として祝日に制定されました。
 お釈迦様の言葉に「やがて死すべきものの今いのちあるは有難し」(『法句経』182)とあります。いのちにはやがて死が訪れる。だからこそ、おかげさま、お互いさまと思いあい、慈しみのこころでいのちを尊ぶ。お彼岸は、このお釈迦様の教えを、ご供養を通して学ぶ一週間だと言えます。

 お彼岸の墓参りにお越しになられたお檀家さんから「お仏壇に2枚あったので、1枚をお寺に納めたい」と持って来られたのが、昭和62年に亡くなったうちの先々代和尚、私の祖父の川柳「合掌の中からほとけ呼び返し」と書かれた短冊でありました。
 書道の先生でもあった祖父ですが、書かれた墨書はお檀家さんに配られ、お寺にはほとんど残っておらず、私もひさしぶりに祖父に出会えたような気持ちになり、有難くお預かり致しました。
 福島県郡山の農家出身の父が養子となって今のお寺に入り、母もご縁のお寺から嫁いで来たので、先々代和尚と私に血縁はないのですが、とにかく私を「孫だ!後継ぎだ!」と可愛がってくれ、私も「じいちゃんじいちゃん!」と甘えておりました。
 私が8歳の時に祖父は亡くなりましたが、朝まで元気だった祖父が、夜にはもう目を開ける事はなかった経験は今も忘れられません。
 学生時分、後継ぎとしてお参り等でお檀家さんを巡る中で、祖父の話を沢山伺い、一人ひとりに寄り添い励ましてきた祖父の姿を知る事となり、それが私の目標になりました。亡くなってからも私の事を育ててくれている。その思いを深めたのが、「合掌の中からほとけ呼び返し」の句であります。
 合掌をする。その手の中にぬくもりを感じる。それは私のぬくもりではありますが、ありとあらゆるご縁から頂いた「いのちのぬくもり」であります。沢山のご縁のぬくもりがとけ合い、私のいのちとなっている事に「いまいのちあるは有難し」の教えを噛み締めるものであります。「呼び返し」とは、そんな私にとけ合っている沢山のご縁=ほとけさま、おかげさまに、有難うの声を供える事だと受け止めています。

 コロナウイルスの影響により、お墓参りなどが難しい現状ではありますが、草花が芽吹き、いのちの鼓動を強く感じる春彼岸の時節、ひととき手を合わせ、私たちのいのちの大元を見つめる「合掌の一週間」として、ご縁のぬくもりを感じて頂けたら幸いです。
 

星 大晃

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