法話の窓

「関」 ~恩師を偲ぶ~

 新型コロナウィルス災禍は止まることがなく、この影響により日本だけでなく世界の様相が一変し、この困難な状況をどう乗り越えていくかが喫緊の課題となっています。
 12月が始まる頃は寒さも厳しくなり、その風の冷たさを感じると身も心も引き締まる思いを毎年しています。臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)といって、約2500年前にお釈迦様が菩提樹の下で1週間静かに坐られ続け、12月8日の明けの明星を見てお悟りを開かれた故事にちなんで、今も修行道場では不眠不休の心構えで坐禅をします。臘八とは、臘月(12月)の8日と言う意味です。

 今から二十数年前の修行時代、初めての臘八は、特に命取りの大摂心といって生半可に過ごすと死に至ると聞いていたので、どんな修行が待ち受けているのか不安にさいなまれていました。しかし、そういう自我を捨て去って、坐禅をする、参禅(禅問答)をする、食事をする、掃除をするなど、その時その場で一つになって徹していくと、お釈迦様の悟りには及ばないにしても、それまでの不安がなくなっていったのを思い出します。
 8日の明けの明星が見える頃、必死でやり遂げた後の達成感と開浴(1週間は髭、頭も剃らず、風呂も入っていない)で最古参の先輩から背中を流していただいて、身も心もすっきり清らかになったことは今でも忘れません。

 世間的に暗い話題が多い中、今年の8月には、私自身にとって悲しく辛いけれど諸行無常として受け止めねばならない知らせが届きました。修行時代の恩師でもあり、妙心寺派管長も務められた東海大光老師が94歳でご遷化されたのです。生前中は、禅の教化は勿論、登山や陶芸、あるいは2年前の宗派内によるソフトボール大会の始球式では90歳をこえてもノーバウンドで送球されたり、近年でもお元気なお姿だったので今でも示寂されたことが信じられません。修行時代には厳しくも優しくご指導を受けました。その教えは枚挙に暇がないですが、禅僧としてのあり方、「謙虚じゃなきゃいかん」「陰徳を積め」「一事が万事じゃ」など沢山の教えを示して下さいました。

 今から15年前に、私に布教師の適任証を授与していただいた記念に、老師から大掛絡(大きい絡子・簡略した袈裟)の裏に「関」(かん)という一字を揮毫して頂きました。『碧巌録』第八則「翠巌眉毛」に出てくる語で、古来より禅門では大変透過するのが難しいとされる「雲門の関」という公案(老師が雲水に課す問題)です。
 夏安居(夏の修行期間)の終わりに際し、翠巌和尚は修行者達に言います。「今日までお前さん達のために説法してきた。間違った説法や説きすぎると罰が当たって、眉毛が抜け落ちるというがどうだ、このわしの眉毛はまだ落ちてはいないか?」と。すると、保福という修行者は「盗人はキョロキョロして落ち着きがない」と、長慶は、「たくさん生えている」と、最後の雲門は、「関」と答えました。なんとも難解すぎてちんぷんかんぷんだと思いますが、これはいったいどういうことなのかは、実際に老師と相まみえて経験するしかありません。大徳寺ご開山の大燈国師は、師の大應国師からこの公案を与えられ、刻苦奮励ののちついに透過されました。大燈国師の法灯を継がれた妙心寺のご開山、無相大師もこの「関」の公案に因縁があります。
 有名な投機の偈(悟りの境地を漢詩にしたもの)を大燈国師は次のように示されています。

  「一回雲関を透過し了り、南北東西活路通ず。夕処朝遊 賓主没し、脚頭脚底 清風を起こす」
(意訳)ひとたび雲門の関を通過してしまえば、四方八方、何をしようが自由自在である。そこには主客の別もなければ、迷いも悟りもない。頭のてっぺんからつま先まで、徹底的に清浄な澄みきった世界があるのみである。

 私たちの今の状況はまさに「関」にぶちあたっているかもしれません。それを突破しようとする気持ち、ひたむきな情熱で勇猛精進することが大事です。困難なことと向き合っても挫けない強い心を貫き通したいものです。そうすればきっと透り越して初めて真実に自由自在な境地になり、清らかな一陣の風が身も心にも吹くことでしょう。

 さて、恩師から頂いた「関」の一字の意を私なりに汲み取ると、布教の道も困難な終わりなき修行だから、一切を捨てきって閉ざされた難関の扉を叩き精進努力せよと。迷ったり、辛いこと、悲しいこともあるが、寒椿のように一筋に生きなさい。大掛絡の裏の力強い筆圧の「関」の一字から叱咤激励の声が背後から聞こえるようです。
 このご時世で元気をなくしている方も多いと思いますが、それぞれの難「関」と向き合って、耐え忍べば必ず明るい道が開かれると信じてこの難局を共に乗り越えていきましょう。
 

 

柳原 好孝 
 

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