法話の窓

スピードの出し過ぎ注意 ~看よ看よ臘月尽く~

 今年は本当に色々なことがありました。「不要不急」という言葉にはじまり、通勤をせずに自宅で仕事することが、あっという間に当たり前のことになりました。マスクを忘れて家に取りに帰ったりすることも、今までの生活では信じられません。
 「来年こそは、いい歳でありますように!」今年は特にそう思います。私たちは価値観が目まぐるしく変化する中で、錯綜する情報に右往左往しながら、ふとカレンダーに目をやると、あと一枚しか残っていないことに気づくのです。

 師走と呼ばれる年の瀬に、よく床の間でみかける禅の言葉があります。

  看看臘月尽  <看(み)よ看(み)よ臘(ろう)月(げつ)尽く>

 「臘」とは、冬至のあとに獣を猟して神々や祖先を祭ることで、そこから十二月を「臘月」というようになったそうです。この禅語は「油断しているとあっという間に一年が終わってしまう」という意味で伝えられています。

 子どもの頃はこの時期になると、「もういくつ寝るとお正月~♪」と目を輝かせて歌っていたような気がします。お正月には、お餅を食べて、お年玉をもらって、そして何より親が優しい気がする――。 子どもたちは、そんな年に一度の大イベントに胸を躍らせるのです。

 それでも四十歳を迎えて、私はドキッとするのです。当たり前のことですが、新しい正月を迎えるということは、齢を一つ重ねることになります。つまり、一日生きるということは、一日死に近づいていることに他ならないのです。気楽に「早く来い来いお正月」と、歌っている場合ではありません。

 八十歳になった私の父は「年齢は人生の速度である」と言います。車で例えてみると、四歳の子どもは時速4キロで走り、四十歳の私では40キロ、八十歳の父なら80キロで走っているというのです。四歳の子どもを見ていると、隅々まで本当によく見て生活しています。私たちが簡単に見過ごしてしまうことも、注意深く観察していて驚くような質問をしてくるから不思議です。人生初の出来事が身の回りに溢れ、日々を活き活きと生きているのです。しかし成長して歳を重ねると、まるで高速道路の車窓のように、日々の人生のシーンが「流れゆく風景」となってしまいます。それでは、綺麗な沿線の景色も、山の紅葉も、道に咲く美しい花も、目に入るはずもありません。

 歳をとるとともに早く過ぎ去ってしまう月日だからこそ、私たちには「看よ!看よ!」と足を止めてくれる言葉が必要なのです。まだまだ今年は終わっていません。未だ来ぬ来年に想いを馳せるのではなく、二度とやってこない今日この時を大切生きなければならないことを、この言葉は教えてくれるのです。

 

細川晋輔
 

ページの先頭へ