法話の窓

落ち葉に学ぶ

 枯れ葉を太陽にかざしたことはありますか。私はあの美しい姿は忘れることができません。山の整備や掃除をしていたときのことです。掃いても、掃いてもすぐに落ちてくる枯れ葉に嫌気がさして、少しさぼってしまおうと山道を歩いていて移動していたときに、なぜか手に持っていた枯れ葉を太陽に照らしてみたのです。そのとき、枯れ葉を通過した太陽の光によって美しい葉脈をはっきりと見ることができたのです。うれしくなって何枚も何枚も枯れ葉を太陽にかざし、美しい葉脈を見ながら写真を撮りました。と同時に緑の葉を太陽に透かしても枯れ葉ほど葉脈ははっきりと、そして美しく見ることができないことを知りました。
 ご存知の通り葉脈は葉に水を行きわたらせるなど、葉にとってなくてはならない存在です。私はこの大切な葉脈の存在を生きている緑の葉ではなく枯れて地面に落ちた葉で感じたのです。

    聴雨寒更尽 開門落ち葉多〔雨を聴きて寒更尽き、門を開けば落ち葉多し〕

という言葉があります。
 山の木々も紅葉して落ち葉が始まる、ある寒い秋の日に、屋根の薄い建物で夜の雨の音を聞きながら眠った読み人が、朝になって目を覚まして、庭の戸を開けてみると、地面は濡れておらず落ち葉が降り積もっていた。雨と思ったのは、落ち葉が屋根に落ちる音だったと気がついた情景を詠ったものです。
 一面に降り積もった落ち葉の美しさを感じることができる言葉ではありますが、ただその光景を文字にしただけではありません。
 夏には緑の葉がイキイキと生い茂っていたが、秋の深まりとともにハラハラと散っていく自然の姿を通して私達の人生を映し出すとともに、寒さにふるえながら雨の音だと聞いていた音が、実は美しい世界を作り出す音だったと、ハッと気がついた感動が表現されている言葉でもあります。

 葉脈が命の限り働いているときではなく、その役目を果して地面に落ちてから、ようやくその美しさに気がついたように、私達は本当に大切なものを失ってから気がつくことが多くあります。
 しかし、それと同時に落ち葉が一面を埋め尽くす情景に美しさを感じるように、不要なものとして嫌ってきたものが実はこんなにも美しいと気がつき、自分には欠かすことができない存在なのだと気づくことができます。
 過ごしやすい秋の日に、普段の慌ただしい生活から離れて、身体と呼吸と心を調えて、自分自身の心の葉脈とも言うべき、尊い心を実感してみてはいかがでしょうか。

 

横山友宏

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