法話の窓

生きる力

 北風の吹き始める頃、田畑では枯れ草を焼く季節です。火の中に湿った落ち葉や草を入れると、はじめは煙が立つばかりです。しかしある瞬間ボッと音をたて、みるみるうちに火柱が上がり落ち葉は燃え尽きていきます。
 『頓悟要門』に「業障(ごっしょう)は草の如く、智慧は火に似たり」とあります。業障とは過去の行ないからの苦しみです。それは枯れ草のようなもので積み上げるだけではいっこうに無くなりません。しかしそこに蛍ほどの火さえあれば燃え尽きるというのです。それが智慧です。智慧とは生きる力のことでしょう。

 「私が殺したようなものです」。奥さんを亡くされたAさんが通夜の時に言いました。Aさんの奥さんは結婚後、うつからくる認知症(仮性認知症)と診断されました。次第に症状が悪化し、自宅での生活が困難になったため施設に入居したそうです。その後も改善の兆しは見えず、気分の落ち込みのみならず一時的な記憶障害などを引き起こすようになっていました。
 中でもAさんが心配していたのは食欲不振です。食べるのが大好きだった奥さんを知っていただけに、施設の食事にはほとんど手をつけず、点滴に頼って衰弱していく妻をとても見ていられなかったと言います。そんなある日、Aさんは奥さんを食事に誘います。なぜかその日の奥さんは快く受けてくれたそうです。しかし、久しぶりの飲食のせいでしょうか、そこで奥さんは食べた物を喉につまらせ帰らぬ人となったのです。Aさんはあの時食事になど誘わなければと自分を責め、最愛の人を亡くしたという悲しみと同時に深い後悔の念に襲われ、えも言われぬ感情に苦しんでいました。
 しかし一周忌が過ぎた頃でしょうか。Aさんに会うと少し様子が違っていました。表情もどこか明るく前向きな話をされています。どうしてでしょうか。Aさんは言います、「家内が私を元気づけてくれているんです」。

 Aさんはあの日からしばらくは遺影を見るのもためらっていました。失ったことを受け入れたくなかったのです。何より奥さんの事を考えれば考えるほど、自分のせいという思いにかられてしまうことを拒んでいました。しかし、儀礼的に毎朝のお茶湯のお供えをしている中、遺影を見てふと気づいたのだそうです。「あの時と同じだ」と。あの時の食事で奥さんは笑っていたのです。長い施設生活で随分見ていなかった奥さんの笑顔。もう見られないかと思っていた笑顔の中での久しぶりの食事。それはかけがえのない時間であったでしょう。「あれが原因だけれども……」、Aさんは続けます。「あの時と同じように今も遺影の中で微笑んでくれている。その笑顔が今の自分を元気づけてくれています」。

 過去に起きたことは無くなりません。楽しいことも辛いことも。冬がくれば北風が吹くように。しかしそれらをそう感じている今をしっかりと生きていく力が、私たちには生まれながらに具わっているのです。
 

窪田顕脩

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