法話の窓

「暗」と「明」

 4月に入り、桜や桃など様々な花が開き始めた春らしい景色を楽しみながら、自坊のある福島市の吾妻山山頂に残る雪を見て、寒い冬があればこその春の暖かさを感じます。

 3歳の時に進行性筋ジストロフィーを発症された岩崎航さんという方がいらっしゃいます。岩崎さんは病気の発症後、座ることができなくなる、おいしいご飯も食べられなくなる、やがてベッドで寝たきりになり、呼吸器を使うという生活を余儀なくされます。自分の若い人生を余生としか考えられなくなるまでに苦悩されました。
 そして、20代で最も悩まされたのが吐き気だったといいます。吐き気は生きていく意思そのものすら奪い去っていくような恐ろしさがあり、「地獄とは、こういうものか」と感じるほどの苦しみだったそうです。
 そのような激しい吐き気に襲われ背中を丸めて苦悶しているあるとき、母が背中をさすり続けてくれたときに、岩崎さんの中にパチンと何かが弾けるような感情が生まれたといいます。そして、親のありがたさ、親への感謝を、命の底から実感されたそうです。
 そして、岩崎さんは

  どんな 微細な光をも 捉える 眼(まなこ)を養うための くらやみ

と詩にされます。くらやみは光が失われた状態ではなく、むしろ、人はくらやみを生きることによって、微細な光という支えを見逃さなくなるというのです。

 『碧巌録』に「明暗双双」という禅の言葉があります。「明」は悟りの世界、「暗」は迷い、苦しみの世界のことを指します。この二つの世界が表裏一体であるという教えです。

 岩崎さんにとって、闘病中の苦悶という「暗」は、微細な光という支えである「明」に気づくために必要だったと詩にされたのではないでしょうか。
 さらに、「“今”を人間らしく生きている自分が好きだ。絶望の中で見いだした希望、苦悶の先につかみ取った“今”が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている」と述べられます。
 「暗」の中で養われた目で「今」の自分を見ると周りには多くの「明」があることに気づかれたのではないでしょうか。そして、「多くのものに支えられている今」と深くつながり、「生かされている自分」を生きていることが幸せであると感じられているのだと思います。
 「冬」と「春」、「暗」と「明」、両方を味わうことが人生を豊かにし、命を輝かせていくことであると教えてくださっているように思います。

参考文献 岩崎航『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)
大野泰明

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