法話の窓

いのちの絆

 

myoshin1707b.jpg ご先祖様がお帰りになるお盆の季節になりました。お盆になると、日頃は忙しさにかまけて、なかなか仏様を顧みないような方も、故郷に帰って墓参りをしたり、お仏壇にお土産を供えて手を合わせたりと、結構殊勝な気持ちになるものです。これもご先祖様のおぼしめしなのでしょうか。
 お盆のおこりは「盂蘭盆」、即ち梵語の「ウランヴァーナ」の音写であり、「倒懸」(逆さまに吊り下げられた苦しみ)の意味である、と伝えられています。自分の逆さまの考えによって右往左往して起きる苦悩に気付く、ご先祖様をとおして我が身を振り返る大切な行事なのです。 
お仏壇を掃除し、そして野菜やご飯と共にキュウリの馬と、ナスの牛をお供えします。そんな飾り付けをしてご先祖様をお迎えし、ご供養するのですが、もう一つ大事な事は、普段は会うことが難しい親子や家族、親戚などが一堂に会する御縁をいただける、ということではないでしょうか。そこで「亡くなったお祖父ちゃんによく似てきて...」とか「この煮物の味付け、お祖母ちゃんの懐かしい味だね」などとさり気ない思い出話に花を咲かせながら、「確かにつながっている」という絆を感じ取っていく大切な時間でもあるのです。

 以前こんな話を新聞で拝見したことがあります。ある男性が、画家に油彩で肖像を描いてもらったのですが、絵が完成するまでの間にとても不思議な事がおきたそうです。描いている途中のキャンバスには、まず祖父にそっくりな人が浮かび上がり、やがてセピア色の写真に残る様々なご先祖さまたちの面差しにもなっていったそうです。もちろん描いている画家は、それらの人々を知るよしもありません。画家として凝視するうちに、モデルの男性の今の顔貌を形作っている地層のようなものを探り当てたのでしょうか。出来上がった肖像画は深みがあって、見るたびにご先祖様たちとの絆を感じさせてくれるいい作品となったそうです。

 私たちは、それぞれ亡き人たちの姿や振舞いを、知らないうちに〝いのち〟として背負って生きているのです。お盆はご先祖様をお迎えし、ご供養すると同時に、その一度も絶えたことのない大きな〝いのち〟の流れとの絆を、あらためて感じさせてくれるありがたい季節の仏事なのです。

藤原良敬

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