法話の窓

人生は報恩行

 

 人間は一人で暮らすことはできても、生きていくことはできないものです。現代の世の中、物であふれていますが、人と人との絆を保たなければ、人生は歩んではいけません。私達は日々「大いなる恵み」を授かりながらお互いが生かされていることに気づき、そのことに感謝の念を抱くことが大切なのです。

生かされている自分を感謝し
報恩の行を積みましょう(生活信条第三)

myoshin1405b.jpg 恩という時は「因」の下に「心」と書きます。恩を知るとは、自分が今ここにこうして存在している事実の原因を知ることです。すなわち自分を生かしている大いなる恵みに気づくことです。
 山々は若葉萌し新緑鮮やかで、私達の心を癒してくれます。私達はこのように眼に映るものには敏感に反応しますが、心の眼を閉じているがために、大いなる恩恵を受けていることに気がつかないのです。新芽をつけている木々は、根からエネルギーを一枚一枚の葉に到るまで与え、成長してやがて大木となっていくのです。「この木は立派な枝ぶりで見事である」、「梅の花の香りは何とも言えないやさしい香りである」、「桜のつぼみが沢山ついているから多くの美しい花が咲くであろう」ということはよく理解できるのですが、眼に見えない根っこがしっかりと培っているからだということを忘れてしまっているのです。
 眼に見えない陰の力「おかげさま」に目覚めれば、生かされ生きている自分に気づき、大いなる恩恵に対して感謝の念が湧き、悦びが心底より感じられます。そこに尽きることのない「いつくしみの心」が現われてくるのです。
 今日までの人生には、多くの人達から、自然から、数えきれない程の恩恵を得て生かされ、今の自分が生きているのです。生きていくということは、その借りを返す報恩行なのです。

大いなる 恵の中ぞ悦びは
尽きずただただ 掌を合わすかな(生活信条 御詠歌)

畠中健友

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