法話の窓

「慰霊行脚を通して」

 6月23日を沖縄では、太平洋戦争の戦没者を慰霊する日として「慰霊の日」と定め、毎年、糸満市いとまんし摩文仁まぶににあります平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が開催されてます。そして、その日に併せて日蓮宗の青年僧の方々が実施されている戦没者慰霊と世界の平和を祈る行脚に、ご縁をいただき参加させていただきました。

 糸満ロータリーという交差点を出発し、平和祈念公園までの約9kmを3時間かけて行脚しました。糸満市は、今でこそサトウキビ畑や森、民家があって風光明媚ふうこうめいびな場所ですが、ひめゆりの塔をはじめ、梯梧でいご之塔、健児之塔など多くの慰霊碑や慰霊塔を道中お参りし、戦時中は激戦区であったことを思い知らされました。そして、慰霊の日ということもあり行脚中に参拝した慰霊碑や慰霊塔にはさまざまな花が供えられ、平和祈念公園では多くの遺族の方々がお参りをされている姿を見たことで、あらためて平和への思いを感じた行脚となりました。

 禅語に把手共行はしゅきょうこうという言葉があります。手に手をとって同じ目線で共に行くという意味です。宗派を超えて慰霊と平和への祈りという同じ目線で歩む行脚は、まさに把手共行といえます。

 行脚中は心配された雨はあまり降らなかったものの、6月の沖縄ですからとても蒸し暑い日でした。そのような中、長時間にわたって歩くことは大変で、一人であれば挫折していたかもしれません。しかし、50名以上の和尚様という共に歩む方たちの存在は、自然と歩く力を自分に与えてくれ、なんとか最後まで歩き切ることができたのだと思います。

 そして、行脚の前日にお会いした地元の方が、「戦争という悲しみを知っているからこそ、私たちは慰霊と平和への思いが沸いてくるのです。」とおっしゃっていました。その言葉を聞いて、慰霊碑や慰霊塔に手を合わせているご遺族は、悲しみという心とさえ手をとり共に歩まれている人の姿なのではないかと感じさせられました。多くの気づきをいただいた行脚となりました。

大野泰明

 

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