今月の法話
[ 2017年03月 今月の法話 ]

大安寺掲示伝道より

奥村宗侃

 拙寺の掲示伝道には十数年来に渡り花園会のカレンダー「花園の心」等の墨跡を掲示するとともに、感想とも解釈とも言えそうな、なるべく読みやすい言葉による七五調四行詩での説明を添えております。

myoshin1703a.jpg「寿山万丈高」(平成28年1月)

 日々の勤めを 励みつつ
 生きたる証(あかし)今此処に
 聳ゆる如く 揺るぎなき
 豊かな心 福禄寿


「君たち何してるんだい 云々(誘三猿図)」(平成28年2月)

 見ざる聞かざる 言わざるは
 我が浄らかさ 護る道
 良き師と友に 誘(いざな)われ
 歩み出(い)ずれば 幸(さち)多し


「春風吹又生」(平成28年3月)

 風は梢に 吹きすさび
 雪は野山を 覆えども
 季節が廻り 移ろえば
 力むことなく 芽は萌える


「幽鳥弄真如」(平成28年4月)

 樹々のみどりや 鳥の声
 それぞれにある 麗しさ
 計らいの無い その中に
 天地自然の 恩を知る


「能為万象主 逐四時不凋」(平成28年5月)

 天地自然の ことわりと
 人の為すべき 道歩み
 報恩感謝の 暮らしなら
 迷いわずらう 事は無い


「青山不動」(平成28年6月)

 春夏秋冬 それぞれに
 変わる眺めは 仮のもの
 真の姿に 変わりなし
 人の心も 斯くあらむ


「聴涛」(平成28年7月)

 四季折々に 打ち寄せて
 止むことの無き 涛(なみ)の音
 ただひたすらに 聴くうちに
 いつかこころも 洗われる


「風吹南岸柳」(平成28年8月)

 北風(ならい)東風(こち)南風(はえ) そして西風(にし)
 違いは人の 呼び名にて
 岸辺に繁る 草や木は
 ただゆらゆらと 揺れている

「風吹不動天辺月」(平成28年9月)
 
 喜び怒り 哀しみも
 楽しみ悩み 恨みさえ
 所詮うわべに かかる雲
 心の月は ゆらぎ無し


「閑中日月長」(平成28年10月)

 喜怒哀楽に 急(せ)かされず
 稔りの秋を 味わえば
 時の流れも 夢の中(うち)
 心は閑(しず)かに 充たされる


「紅葉舞碧空」(平成28年11月)

 白雲浮かぶ 碧空(あおぞら)に
 光を浴びて 紅葉(もみじば)が
 風に舞い散る 輝きは
 ことばを超えし 鮮やかさ


「無尽蔵」(平成28年12月)
 
 あれもこれもと 積みこんで
 ゆとりが無いと 思うなら
 無理(むり)・無駄(むだ)・斑(むら)を 大掃除
 捨てれば入る いくらでも

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[ 2017年02月 今月の法話 ]

涅槃会に想う

多田曹渓

 暦の上では立春といいつつも、まだまだ春は遠く、冷え込みの厳しい中、お寺では正月の後片づけを済ませた途端、涅槃会の準備に取り掛かります。
 この時季の2月15日、お釈迦さまは80歳で亡くなられました。それにちなんで、涅槃図を飾ります。
 全ての生き物を慈しんだお釈迦さまは、クシナガラの地で頭を北に向け死を迎えていく。弟子の阿難尊者を始め菩薩や信者、動物や虫たちが嘆き悲しむ姿、そして、悲しみのあまり沙羅双樹の木が2月というのに花を咲かせ、やがて枯れていく様子が描かれています。そして、それを見ようとたくさんの方々がお寺にお参りに来られるのです。 

  座る余地まだ涅槃図の中にあり   平畑静塔

myoshin1702b.jpg この絵を私たちは、第三者として観るのではなく、その絵の中に座って、共に悲しんで慈しみを感じている。絵の中の世界と一つになって共にお釈迦さま入滅を偲ぶと詩います。
 かれこれ20年近く前に、ある講習会で故松原哲明師にその当時の様子を話していただきました。
 「お釈迦さまは頭を北に向け、顔を西に向け何を見て亡くなったんだろうね。ほんとはどこに行きたかったのか。お釈迦さまが見ていた80キロ先には、母である摩耶夫人の生まれたラーマグラーマ村があったんだ。母の故郷に行きたかったんだ。日数にしてあと3日でした。あと3日、頑張れば最後の旅は完成されていました。でも行けなかった。お釈迦様もやはり私たちと一緒で人間だったんだなと思います」と。
 それを聞いた時、私は背筋が凍りつき言葉にならない感動を覚えました。日頃、お釈迦さまのことを本で読んだりしてある程度のことは理解していたのですが、心の中に人間的な思いは感じ取れなかったからです。そんな私に、故松原師は人間味のある姿を教えてくれた気がします。
 ですが、この母の故郷に行きたかったということは完全に証明されてはいません。「そんなことあるわけない。お悟りを開いて何十年も旅をし続けたお釈迦さまは、やはり最後の旅も、そんなおセンチ(感傷的)な思いはなかった。死ぬまで求道の旅を続けたのだ」と否定的な言葉で返した方もいました。
 私はどちらが正しいのかわかりません。でも、私は全ての物に慈しみを注いだお釈迦さまは最後の最後に母に慈しみを注いだと信じたいのです。

 以来、松原師とは、インド、中国、各地での研修に同行させて頂きました。
 その都度、「あなたたちは誰について行くんですか? 私はお坊さんだからお釈迦さまについて行くんです」と言われました。
 私たち僧侶はどうしても、葬儀や法事といった法務を中心に生活してしまいます。それはそれで構いません。ですが、お釈迦さまの思いや生き様を心の中に持ち続けながら法務を勤めていかなければならないな、といつもこの涅槃の時期に感じるのです。
 そんな思いで涅槃図を眺めていると、まだまだその絵の中には私も座る場所がありました。

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[ 2014年03月 シリーズ法話(月刊誌「花園」より) ]

【清泉】いのちあるもの 幸であれ

小田実全(おだ じつぜん)

 仏教徒は幸せだと思われませんでしょうか。
 なぜなら、宗派にはあまりこだわりがありませんので、宗派が異なるからといって僧侶がお互いに武器を手にとって争ったことを歴史のうえに学んだ人はいないでしょう。
 それには理由がありそうなものだと考えてみますと、幼い頃から「宗論は釈迦の恥じ」と戒めてこられたことを思い出します。もともとはお釈迦さまから始まったのだから、お互いが争っては、お釈迦さまに恥をかかせることになると戒めてこられたのであります。
 しかし、それだけではなかなか得心ができませんでした。私どもが朝夕のお勤めの最後に必ずお称えする『四弘誓願文』というお経があります。その第一には「衆生無辺誓願度」(いのちあるものは限りなけれども誓って導かんことを願う)と称えています。
 これは、「生きとし生けるもの幸であれ」という、お釈迦さまの願いそのもので、仏教の教えは、信じようとも信じまいとも〔いのちあるものは〕必ず真理に目覚めて心安らかにすごして欲しいとの願いが出発点となっていることに気づかされます。
 お釈迦さまの願いは、すなわち私たち仏教徒の願いであらねばなりません。
 宗教、人種や民族、国の違いを乗り越えて「人が人として、してはならないこと、なすべきことは何か」を、今私たちは自らに問わねばならないのであります。お彼岸を機縁として、学び、行じ、永遠不変の真理に目覚めるよう努め、お互いの違いを認めあって、和(なご)みの世界を築いてまいりたいものです。1403houwa1.jpg
 さて最後になりますが、多くの人々とのご縁を感謝しつつ、それらの人々の生きざまの中にお釈迦さまの彼岸への誘いに適うものを求めて、わが心の内を訊ねてみた一年間でありました。お付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。
     〜月刊誌「花園」より

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[ 2014年03月 合掌(信じあい 支えあい 拝みあう)(月刊誌「花園」より) ]

『いただきます』と 『ごちそうさま』

豊岳澄明

 今から十年ほど前のことです。一才だった二番目の娘がある時、おなかの病気になって、お医者さんから食べ物に制限を受けてしまいました。その制限の中に長女の大好物のスパゲティーがはいっていました。
 妹がお医者さんから止められてるんだからと言い聞かされて、当時三歳だった長女は、好きなスパゲティーを「お母ちゃん作って!」とせがむことも無くじっと我慢していました。しかし二ヶ月経っても、まだ『スパゲティー解禁』にはなりません。
 長女がよく辛抱しているのが分かっていたので、外出した時にいっぺん食堂で食べさせてやろうと思い、連れていきました。お店へ入ると娘は迷わずスパゲティーを注文し、間もなくそれが目の前に運ばれて来ました。
 その瞬間、娘は目を輝かせて大声で言ったのです。
 「わあーおいしそう、いっただっきまーす」
その声がお店じゅうに響き渡って、いっぺんにお店の人や他のお客さんたちの笑顔を誘い、注目を集めることになりました。
 それからは一口食べるごとに「おいしいね、おいしいね」を繰り返し、年齢にも似合わず一人前を全部平らげてしまいました。そして食べ終わると、またひときわ大きな声で「あーおいしかった、ごちそうさま!」その声がまた響き渡り、まわりの人達は思わず大爆笑、お店の人は「そう言って貰えておばちゃんもうれしいわ!」と言ってくれました。
 『いただきます』と『ごちそうさま』に関する私の一番の思い出です。
 食事をするということは、動物や魚、そして野菜や果物の命を『いただく』大事な儀式です。動物や魚に『命』があることはすぐわかります。しかし、野菜や果物には命がない、などと錯覚している人がいますが、そうではありません。野菜や果物にも勿論いのちがあります。命があるからこそ、成長し、葉を茂らせたり実を付けたりするのです。
 そういうすべての命を『いただき』ながら我々自身の命が支えられ、生かされているのです。いわば私たちのこの体は『いのちのかたまり』と言えるでしょう。『いのちのかたまり』であるこの体をどう使えば良いか、私たちにはそれを考える使命があると思います。『使命』という字は『いのちを使う』という字を書きますよね......。
 『ごちそうさま』は漢字では『ご馳走様』です。『馳』も『走』も食べる物を準備する為に忙しく動き回ることを意味します。それらの文字に『様』をつけて、食事を終えた人が感謝の気持ちを表す言葉、それが『ごちそうさま」です。1403houwa2.jpg
 両手を合わせて合掌して、みんなが、食事の前に「いただきます」、食事の後に「ごちそうさま(でした)」を忘れずに言うようにしてもらいたいものですが、ちょっと気になっていることがあります。
 誰でも『いただきます』と『ごちそうさま』はワン・セットだと思っています。食事の前に「いただきます」と言ったなら、食事が終われば必ず「ごちそうさま」をいうに違いないと考えがちですが、本当にそうでしょうか。
 TVドラマや何かで出演者が食事をとるシーンがありますと、『いただきます』は時々
見ますが、『ごちそうさま』はまず見ることがありません。それにならっているのかどうか、普段の我々の生活でも、本来ワン・セットであるはずの『いただきます』と『ごちそうさま』との間に、大きな差があるように思えてなりません。忘すれられがちの「ごちそうさま」ではありますが、決して忘れるわけにはゆきません。
 私たちの『いのち」を支えるために、動物や魚や野菜や果物が、いのちを提供してくれているのだ、ということを思いださせてくれる「いただきます」と、私たちの食事を準備するための、様々なご苦労に対する感謝を表す「ごちそうさま」、二つで一組です。そしてそれらはどちらも両手を合わせて合掌した姿で言うのを忘れないようにしましょう。

       〜月刊誌「花園」より

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[ 2013年10月 季節の法話 ]

達磨忌によせて

  絵  原 良子

1310houwa3.jpg 達磨忌の十月五日は、気候的にも、「白秋」のことばがぴったりするすがすがしい季節です。達磨忌がめぐってくると、私はダルマさん(達磨大師)と梁(りょう)の武帝(ぶてい)の対話を思い出します。
 武帝がダルマさんに尋ねます。
 「私は多くの寺院を建立し、お坊さんに供養しました。どんな功徳がありましょうか」
すると、ダルマさんはさらりと答えます。
 「そんな功徳なんか、ありません」
 おそらく、武帝はダルマさんがほめてくれて、「これだけの善行に務めたのだから、必ずそれなりの功徳があります」「あなたの人生は順風満帆です」と保証してくれることを期待していたにちがいありません。ところがダルマさんはにべもない返事をしました。なぜでしょうか。もしダルマさんに、「この男が自分にとってよいスポンサーになってくれたら、これからの生活も安定するだろうし、禅の教えを広めるにもすごく役立つだろう」という下心が働いていたら、こんな返事をしなかったはずです。ダルマさんにはそういう計算はみじんもありませんでした。1310houwa4.jpg
 それにもし、武帝が、「善行をこれだけしたのになにもならなかった。仏教なんか信仰しても価値がない」と思い込んでしまったら、逆に仏教を批判し、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)さえしてしまったかもしれません。
 武帝のように、宗教を現世利益をかなえてくれるものとしてのみ信じ、求めているなら、結局、その結果にいつまでたっても一喜一憂を繰り返すだけです。それにあいかわらず、いつまでたっても人生で起こる不可避的な苦悩に振り回されてしまうだけです。台風に襲われたとき、いつも去るまでじっと静かに我慢しているだけでは、全く人間としての成長がないことになります。ダルマさんが「功徳なし」といったのは、そういう武帝の考えをバッサリ断ち切ってやろうというダルマさんの武帝への温かい思いやりがあったと思います。
 この秋の澄み切った空のように、今なすべきことを無心になすことが、ダルマさんの教えのような気がします。

   達磨忌や五山十刹(さつ)同じ日に

                       尾崎 迷堂

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