今月の法話
[ 2010年08月 シリーズ法話(月刊誌「花園」より) ]

【随縁】在すが如く

微笑義教

祖先を祀る心として、「如在」(いますが如く・おわすが如く)といいます。「そこにおいでになるように」との心です。
昭和四十九年八月のことでした。中学以来の親友T君の父上が急逝されました。どうしても外せない用事があり葬儀にはお参りできず二、三日後にお悔やみに参りました。
祭壇にお参りして驚きました。線香立にたばこの吸殻が一杯です。なんと、線香立を灰皿代わりにしていると思ったのです。

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[ 2010年06月 どう活かすわたしのいのち(月刊誌「花園」より) ]

生き場所がここにもあった 屋根の草

五葉光鐵

屋根の草......屋根に生えた雑草はえらいものです。あんな瓦の狭い隙間に根を下ろし、その命の枯れるまで不平不満をいうでもなく、ただ一所懸命に生きております。
これが私たち人間だったらどうでしょうか。さぞかし「ここは狭くてかなわん」「夏は暑くてたまらん、冬は寒い」といった具合に文句や不平不満が絶えないのではのではないでしょうか。

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[ 2009年04月 季節の法話 ]

食事作法 「あたりまえに感謝」

森山隆司

 私たちの生活の中でのあたりまえのこととは何でしょう。あたりまえとは特別に意識をしなくても誰もが自然に行っていることです。ご飯が食べられること、呼吸ができること、眠ること、元気で過ごせることなどたくさんあると思います。その中のひとつの食事。自分の命を生かすために他のたくさんの命を食材として頂いている食事は、食事があたりまえに出来る環境に生かされていることは何よりも幸せで感謝すべきことだと思います。ところが豊かになりお金を出せば好きな物を手に入れることができるようになった日本では、食事ができることはあたりまえすぎて幸せだとは思えなくなっているのかもしれません。
 グルメ番組や美食などの雑誌は相変わらず人気ですが、それは食事の大切さを示すものではなく他人より珍しく、美味しい物をたくさん食べるかということに関心を向けているように思えます。日本で1年間に発生する生ゴミは1,940万トンで、その内で家庭から出る生ゴミは1,000万トンだそうです。つまり食べ残しなどをふくめた生ゴミの半分は日々の生活の中から発生しているのです。残念なことに飽食の日本では自分の欲求を満たせば他の食べ物は捨ててしまい必要以上に命を無駄にしているのです。

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