
生き場所が ここにもあった 屋根の草
(米澤五郎)
屋根の草...屋根に生えた草は偉いものです。瓦の狭い隙間に根を下ろし、その命の枯れるまで不平不満も言わず、ただ一所懸命に生きております。これが人間であれば「ここは狭い」「夏は暑い、冬は寒い」と文句や不平不満が絶えないのではないでしょうか。
この草のように、どんな生活や境遇にあってもまわりにとらわれることなく、常に主体性を持った生き方を禅では
「随処(ずいしょ)に主(しゅ)と作(な)る」といいます。
私の寺の檀家さんに、癌に冒され、やがてやって来る「死」という苦しい随処に立たされながらも、その辛さから逃げずに最期まで自分を見失わず、冷静に死を迎え入れることができたおじいさんがいました。この方は、いつでも「自分のことより、みんなのために」がモットーでしたので、多くの方々から慕われていました。
おじいさんは亡くなる2年前に医者から癌の告知を受けます。そのとき、家族に「心配するな、自分のやるべきことは全てやったので思い残すことは何もない。それにお釈迦さまや父よりも長生きさせてもらった、有り難い。これからは残された一日一日を仏らしく生きたいと思う」と静かに話したそうです。
元来、深いご信心の持ち主でしたが、それからも抗癌剤の投与を受けながら、お寺の行事には欠かさず出席されました。しかもその後、高齢者大学へ通い始めるのです。そして一年後、大学の卒業式で、おじいさんが大学の学長から表彰をされている様子がテレビで大きく映し出されたのですが、それを見ていた周囲の人たちはたいそう驚きました。年を取って癌に冒され肉体的にも精神的にも難儀だったろうに、それでもなお学ぼうとする前向きな姿勢。自分で自分の生き方を決めて実行する。この生きざまには完全に脱帽です。
その後、おじいさんは入院しました。癌の激しい痛みがあったのですが、面会に訪れた人には愚痴や苦情は一言も漏らさず、いつでも笑顔でした。そして面会の人が帰るときには必ず合掌して「ありがとう」と拝むのでした。そうして最期は、家族に見取られながら人生の幕を閉じたのです。それはちょうど、お釈迦さまがお悟りになられた成道会(12月8日)の早朝でしたので、最後まで仏らしい生き方でした。
おじいさんは、残された自分の寿命というものを冷静な目で見つめ、残された時間を投げやりではなく精一杯に生き抜こうとされたのです。すなわち、癌という辛い重い病の中にあっても、決して自分を失わず、最後の最後まで随処に主と作って、病気に振りまわされるどこ ろか、逆に病気をご縁として、自分の人生を主体的に自由自在に操られたのです。
禅では「今・ここ・わたし」と言って、今、この場所から、己のなすべきことに私事を挟まずただ淡々と行う...これが私たちの日常の修行です。省みれば日々過ちの多いお互いではありますが、今の自分に何ができるのかを考え、それに向かって努力しようと思った今、この場所こそがまさに禅の入り口であり、私が立っている処、坐っている処を除いて他に真実はありません。私たちも何処においてもどんな逆境に立たされようとも、活き活きと生きて行けるようしっかりと精進してまいりましょう。
五葉 光鐵