今月の法話

097 いのちのルーツ探し

 先日、神戸在住の仏教美術画家であり陶仏家の丸山寿美(まるやま・ひさみ)女史の個展に行ってきました。ことほぎのお地蔵さまやみ仏のかわいらしく素晴らしい作品が展示してありました。その女史とご挨拶をしているときに、同席の女性から質問を受けました。
 「なぜ、坐禅をするのですか?何か意味があるのですか?」

 多分、彼女は坐禅をしたら何か不思議な力がつくと思っていたのでしょう。私は次のように答えました。
 「坐禅とは、自己を見つめることです。」

 それは、自分がどうしてここにいるのか、自分とは何ものか、なぜ生まれてきたのか、尋ねたもの、答えたものは誰か。自己を見つめることとは、このように「いのちのルーツ」を探ることなのです。坐禅とは、脚をへし曲げて、痛い思いをして坐るというような形式的なことではなく、もっと本質的な「いのち」に対する深い自覚なのです。

 そのいのちのルーツ探しを最初にされた方が、2500年前のお釈迦さまでした。29歳で出家をされ、6年間の苦行の末、尼連禅河の河畔の菩提樹の下で坐禅をし、12月8日の明けの明星を見て、
「山川草悉有仏性」と、お悟りの言葉を言われました。山も川も草も木も、みんな尊いいのちをもっているということです。万物も我も同じです。あなたもわたしも同じいのち。生きているものすべて、同じいのちのルーツがあるのです。そのルーツとは「大いなるいのち」と呼ばれる仏心そのものです。

 そのお釈迦さまと同じお悟りをひらくために、12月1日から8日の明け方まで、不眠不休の臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)が僧堂(僧侶の専門道場)で行われています。
 この大接心は雲水(修行僧)の命取りと言わるぐらい大変なものです。坐り始めは、なかなか心が定まりませんが、しばらくすると大自然と一体となり「大いなるいのち」の中に生きていることに気づいていくのです。今、このときを坐っている大いなるいのちです。

     「生命」

天地からのさずかりものの この生命 これが また 生命 

天地にまたかえす      この生命 これが また 生命

来るが如く 去るが如く   帰命 ありがたく 合掌となる

          丸山寿美女史「ことほぎのみ仏たち」より

 あなたもいのちのルーツ探しをしてみませんか?

小川 太喜