今月の法話

093 日面仏 月面仏

例年にもまして暑さの厳しい夏が過ぎ、吹く風にいよいよ秋の気配が強く感じられるようになってきました。空気もまた少しずつ澄んできて、長空に浮かぶ月も美しさを増しています。「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」と道元禅師が詠われたように、この時期の月の美しさは格別です。

禅に月にちなんだ次のような話があります。

中国の唐の時代に、馬祖道一(ばそどういつ)という禅者がいました。

ある日、年老いて病床に就いていた馬祖に彼の弟子の一人が問いかけました。
「和尚、近日尊候如何(和尚さま、この頃のお具合はいかがですか?)」。
と。明日をも知れない師匠の身体を気遣って、弟子はこのように尋ねたのです。

それに対して馬祖はこう答えました。
「日面仏、月面仏(にちめんぶつ、がちめんぶつ)」。

 さて、この一言によって、馬祖は一体何を伝えようとしたのでしょうか?
『仏説仏名経』という経典によれば、日面仏は1,800歳もの長命の仏、「月面仏」は一日一夜の短命の仏であるとされます。

太陽は日々変わらずに、まん丸の姿で空に浮かび、我々に多くの恵みを与えてくれます。一方、月は満ち欠けをくり返し、日々、姿を変えていきます。そんな様子から「日面仏」は永遠にも等しい長命の仏、「月面仏」は一夜限りの短命の仏と解されたのでしょう。

馬祖は、間もなく亡くなります。自らの運命を達観していたにちがいありません。

人は誰しも長生きをしたいと願います。しかし短命でありながらも満足した人生を送る方もいれば、長命であっても不遇な人生を送る方もいらっしゃいます。寿命の長さも人それぞれですが、その内容もまた人それぞれです。

そもそも寿命の長短は我々のあずかり知らぬこと、お天道さまが決めることです。朝に元気だった人が、夕には寿命を終えてしまうことは世の常です。我々の命は、そのようにはかないものなのです。

そのようにはかない命の我々にできることは、与えられたかけがえのない一日を、ただ精一杯に生きること、「一期一会」に生ききることです。

「日面仏」の一日も、「月面仏」の一日も、一日単位で見れば同じ一日です。人の一生も、一日一日の積み重ねの結果です。

二度と訪れない一日、今日一日を充実したものにしていくこと、それが寿命の長短にかかわらない、人生の本当の価値を決める生き方なのです。

夜空に輝く月のように、我々の命も精一杯輝かせて生きたいものです。

廣田 宗玄