
こよみのうえでは立秋を過ぎたとは言え、まだまだ暑い日が続いています。それでも四国西部の秋空には、ようやくうろこ雲が広がってまいりました。
私が住んでいる寺は、海と山にかこまれた小さな田舎町にあります。残念ながら若い人たちは皆、都会へと就職していきます。そんな田舎町にも、唯一賑わうのがお盆の帰省のときです。老夫婦は、久しぶりに故郷に帰ってくる子や孫を待ち侘びます。今年の夏も、多くの人が故郷に帰ってきました。このときばかりは、普段静かな田舎町も活気に満ちています。そして毎年のように「やっぱり田舎はいいなあ」と、あちらこちらで聞こえてくるものです。
地元を離れ都会へと出て行った人たちにとって、故郷は思い出深いものでありましょう。有名な高村光太郎の妻、智恵子もその一人でした。
『あどけない話』
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
高村光太郎著『智恵子抄』より
最愛なる光太郎と共に、芸術家としての道を貫いた智恵子。物静かであまり人と話さず、やがては精神を犯されてしまう彼女にとっても、やはり故郷は心安まる場所であったことでしょう。
慌しい毎日の生活から逃れて、故郷でゆっくりと過ごす時間は、確かに安堵感に包まれます。田舎の老夫婦にとっても、久しぶりの家族団欒にひとときの笑いが絶えません。
いったいなぜ、多くの人が故郷で心地よく過ごせるのでしょうか。それはおそらく、私たち一人一人の心のあり方のような気がします。
先日、お盆の夕暮れどきに車を走らせていると、都会から帰ってきた県外ナンバーの車が急に路肩に止まりました。するとカメラを取り出しファインダーを覗き込むのです。不思議に思って見渡すと、そのレンズの先には、一面真っ赤に染まる夕焼けがみごとに広がっていたのです。それは、今までに味わったことがないほどの素晴らしい光景でした。
私自身、もしこの車に出会わなければ、あの夕焼けに心を打たれることがあっただろうか。その日に限らず、毎日のように赤く染まっていたはずの夕焼け空を、果たして知ることができただろうか。お盆の忙しさや慌しさに追われて、目の前に輝く美しい夕焼けに気がつかなかったのです。
帰省してきた人たちが夕焼けを感嘆に眺めていたのは、都会では見ることができない風景であっただけではないはずです。あの夕焼けが自然と眼に入ったのは、おそらく故郷に帰り、気持ちが和らいで、心に余裕があったからだと思うのです。知らず知らずのうちに心が純粋になり、透明感に溢れていたのでしょう。
ありのままを素直に受け入れる心、その心に帰るきっかけを、故郷は与えてくれているのかも知れません。
野山もにわかに秋色をおびてきます。私たちの心も、同じように実っていきたいものです。
福山 宗徳