
7月20日付けの読売新聞の「編集手帳」欄に、
若い門下生の芥川龍之介と久米正雄に、夏目漱石が手紙を書いたのは、大正五年の八月である。あせって一瞬の火花になるな、根気よく牛になって押しなさい。人間を押すのです。文士を押すのではありません。
文壇のつき合いに煩わされる事なくただ一心に人間を見つめなさい。という教えだろう。
作家の半藤一利さんは「手紙のなかの日本人」に書いている。久米は人間を押さずに文士を押した。芥川は牛にならず火花になる事を望んだ。(部分転載)
と掲載されていました。
文才に優れた両者に対し、人間のなかの文人を引き出し、内なる心の動揺をきたさない大いなる「いのち」を活かす教えを示された師匠の親心の言葉でありましょう。
妙心寺の初代住職・関山慧玄和尚さまが、若き修行僧に「なぜここに来たのか」と訪ねますと、修行僧は「ハイ。生死の迷いから脱したくて」と答えました。慧玄和尚さまは「ここには、生死などと言うものは無いわい」と修行僧をつっぱねた、という話が伝わっています。心に迷いがなければ「生も死も無い」ということです。
慧玄和尚さまは、全ての人が、平等にいただいている「いのち」の活かし方をきちっと体得されておられ、生死の世界に迷う修行僧を「生死などと言うものは無いわい、の世界」に的確に、そして厳しく押された禅僧でした。
先日、会社の経営に携わっている方の話の中に、種々の研修会を行ない社員教育をしているが、技術研修以上に人間教育研修に力を入れている中小企業が多くなっている。という話を聞きました。自己中心的なものの考え方のまま、20年前後生きてきた若い社員研修に人間研修を重ねていることに、うなずけるものを感じました。
慧玄和尚さまや夏目漱石の示唆することも、会社経営者が社員の人間性を高めていくことも、何ら変わりはありません。一人一人の内なる心の動揺をきたさない心によって、このいのちをどのように活かしていくかなのです。
あなたは、あなたのいのちをどのように活かそうとされていますか。
人間を押しましょう。
鷲津 義芳