今月の法話

088 いのちを想う

 海辺のお寺をお参りする人は多い。

 漁に出る男衆の無事を願って女子衆は掌を合わせる。漁に出る者が激減した今日も、何百年も前から受け継がれてきた、朝の景色となっている。ことにお盆には、帰省した人を迎え、人口が2倍3倍と膨らみ、お寺の境内は祭りのように人が溢れる。親祖先を大切にする土地柄ゆえの風物詩として、毎年うれしく眺めている。

 離れて暮らす家族を一同に会させる盆行事はありがたい。いつもは一人のお参りもこの時ばかりは大所帯。満面の笑みに弾んだ声が飛び交う。墓前での久し振りの報告も喜びに満ちたものである。

 若い孫の世代の墓参は、慣れぬことゆえに、多少のテレが見受けられる。遠方に在りて故郷に思いを馳せた子どもたちは、感慨深げな面持ちだ。かいがいしく世話をやく老親の介添えで、皆が一斉に掌を合わせ頭を垂れる。そこには確実に「生命」の育みが見て取れる。

 命の手本は身近にある。親の姿、子の姿。そして私自身の姿。戴いた「いのち」。伝えたい「いのち」。そこに生命の尊さがはっきりと見えるはずだ。ひとつきりの私の命、もったいない生き方だけは避けたいものだ。

 つらい時は本当につらい、苦しい時はまことに苦しい。うれしい時は真にうれしいし楽しい時は実に楽しいものだ。喜びも悲しみも一人では抱えきれぬほど大きい。

 長い人生の中にあって、ことあるごとに幸か不幸かを問うとき、幸せか不幸せかは私の側にあって「ご縁」の側にはない。正直に私らしく生きれば良い。意地を張らず気負わずいのちを活かせば良い。在りのままを自分らしくこなしてゆけばいい。

 「仏はわが心にあり」。このお盆には、ぜひともご先祖様にお会いしていただきたい。静かに掌を合わせて亡き人を偲ぶとき、亡き方の生前の言葉がよみがえる。かたわらの親兄弟や子どもたちを見れば、そこにも亡き方の面影を見ることも出来る。綿々と受け継がれた「いのち」のあかしがここに在る。

 与えられた生命を活かす行為は尊い。私は私の役割を果たさんがために、一日一日を大切に生きねばならないと願う。

片山 宗積