
◎はきものをそろえると心もそろう
地元の小学6年生が修学旅行で奈良、京都へ行く前に、事前学習ということで寺へやってきました。
ふと見ると本堂前の石段にはズックグツがきちんとそろえてあるではないか。
私は公民館の仕事もしているが、図書室などへやってくるこどもたちは何度注意してもなかなかうまくそろえられない。やはり寺という雰囲気がそうさせているのかなと思いながら、開口一番「はきものがそろっていると気持ちがいいね」と、まず褒めてニッコリ。「今日は君たちの心もそろっているんだね。」
そうなんです。
はきものがそろうと心もそろう
誰かのはきものがみだれていたら
そっとそろえておこう
そうすればみんなの心もそろう
◎常に脚元を見つめよう
「看脚下」とは脚元を看よということです。
はきものをそろえることも脚元を見つめなければできません。さらに自分の心をよく見つめることが看脚下です。
そこを、妙心寺を開かれた開山無相大師は「其の本を務めよ」とおしえています。
それは本当の自分(仏性)にめざめることであり、そのために私たちは日常生活の中でいつも脚元をしっかりと見つめることが大切なことです。
現在の妙心寺派管長東海大光老大師も、「一度決めたらコツコツ地道にやっていけばよい。そうすれば必ず自分のいのちを、まっとうできる」とおしえています。
◎人間としての心のしつけ
「躾」は人間生活の基本となるべききまりです。「躾」という字は「身を美しくする」と書くように、身と心の調和がとれたふるまいであり、それが習慣となるのです。
現代は「人間性喪失の時代」と言われていますが、人間が他の動物と区別されるのは人間性なのです。
人間は本来、ものごとを明らかに観る「智慧」と、他に利益をもたらす「慈悲」を持ち、それを実践することができる「ほとけ」なのです。
そのために日常生活の中でいつも心がけたいのが、生命を大切に(不殺生)、他のものを盗まない(不偸盗)、みだらな行いをしない(不邪淫)、うそをつかない(不妄語)、偽り飾ったことばを使わない(不綺語)、他人の悪口を言わない(不悪口)、二枚舌を使わない(不両舌)、心をむさぼらない(不慳食)、いかりを持たない(不瞋恚『ふしんい』)、間違った見解を持たない(不邪見)、など「十善戒」といわれるものです。
この実践行は社会と共存するために必要なおしえなのです。
田尻 和光