
私たちは現在、生活が豊かになった反面、たくさんの物を粗末にして暮らしています。物は豊富にあっても、心が豊かになることはなかなか難しく、自分以外のものに対して優しく丁寧に、大切に接することが少なくなってきているのではないでしょうか。これは、他のものを「自分とは違うもの、別のもの」と捉えているからでしょう。
仏教には「自他不二」という教えがあります。「私も他のものたちも、同じもの」という考え方です。そもそも、私たちは人間としてこの世に生まれてきていますが、そのこと自体、ごくまれなことです。人間としてこの世に生を受ける確率は、他の生物として生まれることに比べて遥かに低いのです。まさに「有り難い」ことと言えるでしょう。つまり、ひょっとしたら人間ではなく、他の動物であったり、虫であったり、植物としてこの世に生まれてきていたかもしれない、ということです。私たちは。たまたま人間として生まれてきただけに過ぎません。私たちも他のものたちも、同じ「一つの命」であり、その尊さに違いはないのです。
私たちは生きていくために、その尊い命を頂いていかなければなりません。これはこの世の中を生きていく以上、どうしようもないことです。ですが、だからと言って、他のものたちの命を粗末に扱っていい、ということには決してなりません。
このところ、他の生き物のみならず、親兄弟・家族、友人・知人、隣人といった、同じ人間の命や存在をも、ないがしろにした事件をよく見聞きします。同じ人間であるにも関わらず「私が、僕が、俺が」と、自分のことばかり主張し、相手のことを思いやることができなくなってきているせいでしょうか。自分も相手も、同じ命を持った、同じ人間であることを思えば、相手の立場や置かれた状況、その時その時の気持ちを、自らのものとして考えることができるのではないでしょうか。
自分も他のものも同じ存在だと理解するとき、決して粗末に扱うことはできないはずです。自分をないがしろにしてまで他のものを大切にしろとは申しません。私たち妙心寺派の生活信条にも「人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう」とあります。まずは自らのことから、自身の身近な人たちを始めとする自分以外の人へ、そして他の生き物たちへと、一人一人が心掛けてゆけば、それはやがて思いやりの連鎖となり、私たちみんなの生活の中に広がっていくことでしょう。
木村 浩章