
知人が入院したことを聞き、お見舞に行きました。ちょうどリハビリの時間にあたってしまったため、病室に本人は不在でした。
しかし、同室の患者さんが「暫く待っていれば帰ってくるから、廊下の突き当たりの談話室でテレビを観ていたらいいよ。帰ってきたら、教えてあげるから」と親切に話してくれました。
なんでもない会話ですが、どちらが病人かわからないくらいの気遣いを感じたものでした。そういえば、病室に入った途端、部屋の中が何か温かい雰囲気に満ちていると思ったのです。リハビリから帰ってきた開口一番が「お忙しい方をお待たせして悪かったわねえ」とこちらを思いやる言葉でした。来院した人はふつうリハビリの大変さや病気の愚痴を聞かされるのが常ですのに。
知人は永年華道に勤しんできた、笑顔を絶やさない年配の女性です。研究会等では、人の手助けや跡片付けを率先してやり、年の若い人よりもよく動き、人の気がつかない気配りを欠かさない人です。それを誇るのでもなく、吹聴するのでもなく、その人柄が、彼女が居なくても温かい風となって周りの人をも染めてしまうのでしょう。
良寛さんのあの光景を彷彿とさせます。親しくしていた家に良寛さんが来ると、穏やかな空気が家中を満たしたといいます。説教をしたり、難しい講釈をしたりするわけではなく、ただ世間話をしていただけですが、彼がいるだけで、他の人の心を清らかにしてしまうのです。彼が帰っても、和やかな雰囲気が、そのまま残っていったといいます。
華の香(か)は
風にさからいては行かず
栴檀(せんだん)も多掲羅(たがら)も
末利迦(まりか)もまた然(しか)り
されど
善人(よきひと)の香(かおり)は
風にさからいつつもゆく
善き士(ひと)の徳(ちから)は
すべての方(かた)に薫る
法句経54番(友松圓諦訳)
花のよい香りも香木の芳香も逆風に向かってはにおいませんが、よき人の香りは風の向きにかかわりなく、におってきます。
人には、それぞれに香りがありましょう。その香りを人柄とも人格ともいうかもしれません。それは、日々の生き様が積み重なってできていくものです。しかし、何十年と生きてきても香りもせず空気の如く消えてしまうのでは生きてきた甲斐がありません。豊かな心をはぐくむ人生の耕しがあれば、逆風をも暖かくする、芳香を放つことができるでしょう。その匂いは徳風となって周りの人々を感化します。見舞いに来た人をも逆に明るくする力を持っているのです。
歳を重ねるということは、老熟することでありましょう。老熟は衰えていくのではなく、人間として成就することでありますから、一朝一夕でできることではありません。日々の自分耕しこそがよきかおりをつくっていくのです。
鈴木 眞道