今月の法話

075 今の自分を否定しない生き方を

 若者の集いで、背広をパリッと着たサラリーマンの若者が、よれよれの仕事着を着ていた若者に向かって、"お前は家の仕事をしていれば食いっぱぐれがないからいいよなあー、自分の家で商売をしているし、定年はない。本当にお節はいいよなぁー"、それに比べて俺は定年はあるし、自分の給料で家も建て一家を支えていると言った。言われた若者は"そんなことはないよ、そんなにサラリーマンが不服なのか、そんなに俺の仕事がいいと思っているのなら、俺の仕事をやってみるか。"と言った。しかし途端に"そんなことできるか"と語気を荒げていうのが聞こえてきた。

 よれよれの仕事着を着ていた若者が、さっきの話どう思いますかと私に聞いてきた。"あなたはどう感じたの?"と私が質問すると、彼は小さな声で"卑怯です。だってそうでしょう。自分はその仕事ができないことを知りながら、いいよなぁーと言って羨む。人にはそれぞれ悩みも苦しみもあると思うのです。彼だって不平を言っていたじゃありませんか。できないのにいいなぁーと言うのはねたみじゃないですか、卑怯ですよ"と。

 近所でガンに冒された中学生の子が、「生きるとは」という作文のなかで「病気にかかって励ましてくれる友達に感謝もしたが、普通に送っている友達の姿をうらやましいと思った。病気になる前の毎日の生活の繰り返しに何の疑問ももたなかった。入院生活の中から一日一日を大切に生きようということを学んだ。一見平凡に見える毎日の生活がどれほどかけがいのないものであるか。当たり前にあることの意味、生きることの意味をもう一度見つめ直してみませんか」と訴えていました。

 『四十二章経』というお経の中に「人命幾ばくの間にかある」と言う問いに「呼吸の間にあり」と答えています。人は皆吐いて吸っているその間にしか生きている証がないのです。それを過去のよかった事を思い浮かべていたり、まだこない未来に夢をはせていたりでは、現在生きている自らの生き方を否定している事であります。今生きている事実を自覚し、今を活かす生き方をしてゆく時、充実した生き方ができるのです。

 他人の生き方を羨みねたんではいけません。それでは何時までたっても自分の真の生き方を見出す事はできないと思います。新たな年を迎えることのできた喜びを自覚し、一日一日を大切に有意義な日々を送っていきたいものです。

宮田 正勝