今月の法話

074 見つめよう、私のいのち

 今、私ども臨済宗妙心寺派では「見つめよう、私のいのち」ということが、統一テーマになっています。まずは、このテーマの下、ご開山様の教えやお心を現代に、どう受け取り、どの様に活かして行くべきかに取り組んでいます。今日「いのち」をとりまく様々な問題がおきています。皆様も共に取り組んで頂きたいものです。

 さて、そこで「いのちを見つめよう」というとき、まず「生命」と「いのち」と書くように、いのちには全く異なる二つの見方があることを忘れてはならないと思います。「生命」というときは、私の生命、あなたの生命、ときにはポチの生命というように個々の生命をいいます。私の肉体に働く生命現象のことです。そして、このような生命がいのちの全てと思っている人は、死ぬのが怖いという思いがふっきれません。いのちの無常を無情としか思えない人です。次に、個の生命を超えた「大いなるいのち」とか「宗教的生命」とか「仏の御いのち」と表現される「いのち」があります。

 実は、私自身の生命も、他の動植物のいのちに支えられていることはわかりますね。さらに、空気も、水も、光も、大地も、生きているものであり、同時に私の生命を支えています。そして、それと同時に全てを包み込んで、全てを生かしめている「もの」を「大いなるいのち」といいます。いわゆる「いのち」のことです。

 そこで、個の生命や生命現象も「大いなるいのち」によって支えられ生かされていることに気付いてほしいものです。「生命」と違い、目で見つめることはできませんが、時間、空間を超え、天と地と人を貫いて働いている悠久のいのちのあることを感じてみて下さい。

 八木重吉さんの「この木」という詩をごらん下さい。

『ああ この葉/黙の億年/この木 この木/静かな億年が/青い葉に/すわっている』

まさしく悠久、無限大の大いなるいのちの詩ですね。

 さて東北の白神山系にブナの原生林があります。今その広大な、そして何千年も保たれているブナの大原生林が世界遺産に指定されています。ブナは、木で無いと書きます。いわゆる用材としては、その性質から、水を多く含み、重くて、腐りやすく、さりとて庭木にもならないところからこの名がついたのでしょうか。

 林業の上からは評価がゼロに等しく、悪くいえばどうしようもない木なのです。それが今、世界遺産とされ尊ばれ、人類への貢献度も、再評価され、すっかり見直されています。人間から見た「生命」を超えた「大いなるいのち」の功徳ではないでしょうか。でも、私たち全ての人々も等しく「大いなるいのち」の功徳を頂いていることに気付きたいものです。そのことに気付いた時、人間の真の尊厳が自覚されるのではないでしょうか。

横田 宗忠